卵の殻と観峰先生 ①
今回の学校は、ねこん在住の町にある小学校です。細長く広がる町のちょうど反対側にあたり、町界に近いところなので、中心市街から学校へは23㎞。こちらから市街の分を足すと40㎞は離れているでしょうか。ここに行き着くまでにも廃校がいくつか点在し、ほぼ、同時期の閉校(新設校へ統合に伴う)で現在町内で現役の学校は、高校も入れると8校ほどになるでしょうか。廃校全てが現役ならば27校ほどになるので現在は3分の1以下ということですね。
最も奥地の現役校地からも十数キロ離れており、至る道は舗装されているとはいえ本線と複線の差があまりなく、いくら走れど畑ばかりの地域です。事前に最寄の市街地で聞いていなければ、ミズバショウ園に迷い込んでいたことでしょう。(取材時は冬)
ところが、いざ付いてみると日高山脈を正面にデーンと据えた見事な景観の学び舎です。山肌の木々が見て取れるようで正に「山がここにある」といった趣。
これほど奥地でありながら僻地級は3級。道路事情は意外に良かったからでしょうか。
大正5年創立。昭和58年3月をもって、近隣校に統合されました。閉校時の生徒数は12名。しかし卒業生は543名と決して少ない数ではありません。
昭和56年、「こども郵便局優良校」として表彰されていますが、子ども貯金のことだと思われます。全校器楽で毎年、十勝子ども大会に出場の経歴もありました。
閉校に伴い、校舎脇に第12代校長揮毫による閉校記念の『蛍雪の友』の碑があります。学校からグランドをはさんで向こう側の道路際を流れる川に架かる橋の名が『学校前橋』。近隣には廃屋もありますが、教宅跡や新築で住人も多いところです。
校門は朽ちかけて校名もいずこへ?となっています。
教室のあたりに巨大な引き戸が…まさか?と思ったらその通り。現在は農機具庫として使われているそうです。ちょっと雰囲気台無し…多いんだけどね車庫利用って。
とりあえず、生徒の足跡を探して中へ入ります。
当然のごとく、教室に床などありません。車庫なんだから。『学校の床下の土なんてそう見られるものじゃないよねー』と変な自問自答。車庫に使われているのは半分程度で残りは地域館として利用されているようです。真新しい白いサッシがまぶしい。
入れた教室は車庫として使われている部分のみで、ここには黒板などは残っていませんでした。
ブロック建ての校舎も多い中、ここは木造が中心です。
ふと見上げると… 『ふうすい?』と思うような方角を示した紙が天井に貼ってあり、そばには入学式か卒業式の飾りの名残もつけられたまま。風化が少なくていい感じ。 教室をふたつ繋げた車庫の中は他にめぼしいものもなく、廊下へ上がってみることに。
『おーっこれはこれは』 半分、失意に落ちかけて光明が射してきたようです。
そこには、かなり懐かしいものが出てきました。
※天井の隅の穴は何なのでしょう…
(つづく)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ねこんさん、こちらの町にお住まいなのですね。
てっきりお隣だと思ってました。
この学校、前に教えてくれたところですね。
あれから行ったんですよ。2回目で見つけました。
木造校舎は年月が経てば経つほどいい色が出ますね。
投稿: haru | 2007年6月23日 (土) 09時50分
ここも隣みたいなものですよ。30分くらいで実家へ行けます。
H小跡とN小跡の間くらいです。
「ルイドロ」、O町の物件が多いですからね。そう思うのも無理ないでしょう。
投稿: ねこん | 2007年6月23日 (土) 12時53分