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2007年6月 5日 (火)

オルガンの調べは遠く ②

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 昭和47年3月、残った4人の子ども達の巣立ちを見届けることなく、学び舎は廃校となりました。
 当面は地域館としての機能は保たれたのでしょうが開校50周年式典以降は目立った事業はなく、閉校と共に風雪に耐え忍んだ板壁は静かに朽ち始めました。やがて、校舎裏手の学校トイレも雪の重みで倒壊。学校の倒壊はトイレから始まるのか?というくらい朽ちる廃校はトイレから始まっているみたいです。

Dscf1031  それから約25年後の平成9年、学び舎に変化が訪れました。
O市内の工芸作家が自然素材を利用した染物、羊毛を紡いで敷物・クッション・帽子・アクセサリーなどの生活小物を生活小物を製作するためにこの学校を工房として再生しました。

 『山の工房』
 
その活動は体験工房としての側面もあり自然派思考のブームも手伝い、訪問者とそのリピーターもいたようです。製作で、染織は準備や行程に手間がかかり、時間を要するためか、2段ベッドも用意され、簡易宿泊も可能だったようです。
 その後、ナバホ織(19世紀頃、ネイティブ・アメリカンのナバホ族によって織られ、作られた衣装は彼らのマストアイテムであった)や木の皮で編んだバスケット製作にも意欲的に取り組まれました。

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Dscf1040  しかし、ねこんがこの学び舎の存在を知った郷土廃校研究誌の発刊時(平成15年)には、既に同校は未利用とされていました。すると『山の工房』の存続はわずか5年で経営者の何らかの理由で存続が困難にかつ、突発的に中断したようです。工房の中には作品・道具類・染織や工芸の書籍などがそのまま残されています。壁には染織の知識などの掲示物や訪問者からのお礼の手紙や写真などが貼られていて往年の繁栄振りが垣間見えます。

Nagashi_1 この地区は近家もすでに離農しており、この工房に関しての情報が少なくて詳細は不足しています。主催者は判明していますが所在はつかめませんでした。でもこれ以上調査を続けるべきではないでしょう。

 現在、校舎裏手の流し付近の窓が壁ごと飛散して、致命的な崩壊が始まりました。このまま数年後には歴史や思い出など全てをはらんだまま倒壊してしまうのでしょう…。この時も屋内に積もった雪が床板を変質させているようでした

でも、自然の成り行きに逆らうような、そんな気がして今だに何もしていませんが…

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 すでにここはオルガンの調べも児童たちの歌声も聞こえることが無くなってしまいました。
そんな学び舎に上記のような一文が静かに掲げられています。

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コメント

物件は小さくても 同じ廃墟マニア みんななかよく・・・

この廃校はちょっと色々考えちゃいますね。
廃校~工房の流れは好きです、でも最後は修繕されることもなく“廃校”になっちゃうんですね。

投稿: カナブン | 2007年6月 5日 (火) 11時05分

土地柄、利便性が悪くなおかつアクセスしずらい場所というのがネックであるようです。最寄りの店は5キロ圏内に焼肉屋とソフトクリーム屋のみがあります。
体育館も無かったようです。

投稿: ねこん | 2007年6月 5日 (火) 17時27分

体育館のない校舎はソソられますね。
「学舎の墓標」で紹介されていた学校は体育館は存在してたんでしょうか。
これだけ小さい学校にも、かつて子供たちが元気に学んでいたことを想像したら
胸が熱くなります。

投稿: haru | 2007年6月 5日 (火) 21時42分

『学舎の墓標』の学校は棟違いで体育館が存在していたそうです。普通は体育館だけが残る方が多いのですがあそこは教室が残っています。作りがプレハブっぽいですが…
今回の学校は別棟はトイレのみで、もしかすると教室兼軽運動場だったのかもしれません。

投稿: ねこん | 2007年6月 5日 (火) 21時53分

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