鳥居の中の廃校 弐
内部は廊下の一部を残して大半が剥がされているため天井がとても高く感じ、教室・体育館の区別が付きづらくなっています。
これが校舎の全体であるかは、この学校自体の閉校誌及び学校文集の類が未発見であるため把握できていません。現存するのが体育館と短い廊下でつながれた教室とおぼしき部屋がおそらくふたつ。
壁が無いため3つだったのかもしれません。
体育館外側の補強の柱が特徴的です。これが板状になっている体育館は、良く見ますがこのタイプは珍しいかもしれません。内部に柱が少ないため必然的な補強なのでしょう。後になると完全木造型でもこれらの補強が無いものも数多く存在します。
全体は木造モルタル平屋の校舎。塗り壁に痛みは少なく、これはもう、玄人の仕事であったのでしょう。ガラス保護のための鉄製の内窓が特徴的です。
校門・正面玄関・グランドの痕跡が見当たらないので、若干『本当に学校?』という感も拭いきれず、また辺りには閉校記念の碑などは無く(地区開拓記念碑は神社の近くに有り)21年という短い校史ゆえ、学び舎に対しての想いは希薄であったのでしょうか。
それでも、ここから巣立った生徒たちは50代前後。近所の農家には当然卒業生もいることでしょう。情報の地域格差が大きかった時代、多感な時期を過ごした当時の生徒たちは何を想い、何を感じていたのか興味はつきません。
体育館内部へと入ると数羽の野鳩が中で営巣していたのか、侵入者に驚いて梁がむき出しの天井付近を暴れて右往左往しだしました。
ふと見上げたところに体育館のステージ部分があったとおぼしき痕跡があり、そこに校章があるのが目に入りました。なぜか熱いものがこみ上げて、寂しさに無性に目が潤んでくる自分に気がつきました…
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コメント
おはようございます。
鳩の写真いいなぁ、グッときますね。
投稿: カナブン | 2007年5月17日 (木) 08時07分
鳩がなかなかフレームに入ってくれず、ずいぶん待ちました。
ホントは10羽くらいは居たのですが飛び散っちゃった。
投稿: ねこん | 2007年5月17日 (木) 16時40分