まごころのころも
凍てつく冬の数ヶ月間、大地のカンバスが元の純白に戻りその間絵筆を取ることを禁じられていた大自然の画家たちは春の訪れと共に意欲的にかつ、迅速にカンバスを染め上げていく。ある意味狂ったかのように鮮やかな色の乱舞がくりかえされていく…今年の絵の具箱が空になるまで…
その季節の映ろうさまに目もくれず一点を見つめ続ける男女。その視線の先には何が有るのだろうか。将来・未来・夢・希望…最後にこんな目をしたのはいつですか?目は生ものです。心の伴った眼差しのことです。
この地にはもと、高等学校があり校舎の老朽化から新築移転し、旧校舎は取り壊されました。この旧校舎は6,797名の熱い眼差しをもつ生徒を送り出し、新校舎に任を譲りました。 その後、同窓会有志の働きかけでこの地に「ふたり」がやってきました。
あられもない姿ですが、むしろそれが自然体であり、志が己を飾るのだと言うかのように自信に満ち溢れています。 私たちは飾るものの力を借りすぎているのかもしれません。(自信があるからと言って軽はずみな行動で品性を落とさないように…)
「ふたり」もこの地がけっこう長くなりましたがいつの頃からか冬のいでたちに変化が出始め、地元新聞にも報じられることがありました。
男子の方は少々珍妙なようですが冬のコーディネートです。
誰の計らいに寄るものかは別として人形(ひとがた)はもちろんのこと、針や刷毛すらその命を全うするときにはきちんと供養するそんな日本人気質がここにもありました。
日本は八百万(やおろず)の神の国。それは単に諸外国の精霊信仰とは異なる趣があって物にも心あることを認め、その気持が物を大事にし、「もったいない」ということにつながっていきます。
『もったいない』という言葉を万国共通語にするような世の中の動きもありますが言葉だけではなく、どこからその気持が生まれるのかということも伝えてもらいたいと思います。
物の豊富さゆえにその発信地が人形やぬいぐるみをごみ袋に放り込んであるのを見ると少々胸が痛みます…
こころなしか少年の右足に寒さに耐えている感じがあります。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
いたずらのようでいたずらじゃない心が洗われる素敵な場面ですね。確かに男子の足が寒そうです、これも北海道の四季なんですね。
あっ人体の不思議展行かなきゃ!
投稿: カナブン | 2007年5月27日 (日) 20時05分
こんばんは。こちらでは初めまして!
知らない人が車道から見ると、本物の人間と間違えそうですね。
二人とも末端が寒そうです。
投稿: haru | 2007年5月28日 (月) 00時46分
haruさんこんばんは
たしかにこの彫像は視線も表情もリアルです。
この辺りは外回り営業の昼休み休息場ともなっていて撮影は、ちと恥ずかしかったですよ。
投稿: ねこん | 2007年5月28日 (月) 00時55分
カナブン師匠様
あの右足は、心なしか貧乏ゆすりも彷彿して、改めて顔を見ると志に満ちた顔がイライラした表情に見えたりします。
投稿: ねこん | 2007年5月28日 (月) 01時43分