鳥居の中の廃校 壱
農耕地帯の真ん中にこの学校は存在します。それも鳥居の向こう側に。
学校が先か、神社が先か、それは調べていませんが背面に廃校を頂いた神社も珍しいですね。郷土史で見つけ、この日はカナブンロードを南下してこの学舎を目指しました。
いざ。探すとなると『校舎は大きいからすぐ見つかるさぁ~』と楽観的に向かったは良いけれど管内でもトップクラスの乳用牛頭数の多い地帯でどこもかしこも大きい建物。ちょっと年期が入っていれば全て学校に見えてくる…
広尾=浦河間を結ぶ国道236号線通称『天馬街道』。そのわき道から入り込んだところに位置しますが、事前知識が無ければ地元人以外は到着不可能。ねこんは何とか行き着けましたがもう一度行って行き着けるかと思うほど目立たない学校です。
たまたま見つけた道路工事警備員さんに聞こうと止まったところが現地で、まさにルイドロ特派員が導かれた(総勢1名)といっても過言ではありません。 神社背面の右側の建物、積雪のためか屋根が崩落してしまっています。剥がれた屋根のトタン板が風に吹かれてヒーヒー…と鳴いています。その裏手に校舎と接続していたトイレ、すでに建物はデフォルメがかかって中も崩落していました。今シーズンは雪が少なかったので持ちこたえたようですが、管内でも豪雪地帯なので次の冬にはどうなるのでしょうか…
どうにも枯れ草が深いので、一度戻って校舎側を見て行きましょう。
事前情報で知ってはいましたが案の定、農機具庫になっています。このように片側をオープンにしてしまうと風のためか内部にあった学びの痕跡が失われることが多いので探索も大変です。少しでも存校時のものはないかと探しますが閉校になってから既に32年の月日はそれを許さなかったのでしょうか、物証に乏しい。
昭和22年創立。この地には昭和27年に移設しました。バレーボールなどのスポーツ教育に力を入れ、対外試合も積極的だった本校ですが農村地域の過疎化と少子化により昭和43年度をもって、近隣数校とともに他校へ統合になりました。ねこんの通っていた学校も同じ宿命を負っていたので身につまされますが、この学校は校史わずか21年。閉校時の児童数は50名! 果たして廃校の必要はあったのでしょうか。
この頃から農村部の児童は減少する反面、都市部の学校は人口が集中し、1クラスが50人前後に膨らみ、分校を繰り返す現象も見られました。今ではそれらの新設校も児童数が減少し、校内でサッカー少年団を組織できないような自体にもなっているそうです。
今は、農機具倉庫になってしまったこの校舎にも大勢の子ども達が走り・笑っていたのでしょうが今はただ、音すらないかのように朽ちていくばかりなのでした。 (つづく)
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