« 海を見つめる巨大ガニ | トップページ | 石亀、平和の海へ帰る ② »

2007年5月30日 (水)

石亀、平和の海へ帰る ① 

Dscf4774

 その海岸へ出ると奇妙な光景が広がっている
海岸線沿いの砂浜を数多の巨大な石亀が海を目指していた…

Dscf4764  その石亀の歩みは、とにかくゆっくりとしたもので、ここまで這ってくるのに60年ほどかかっているでしょう。この亀の誕生は多くの人たちによって比較的短い期間で行われました。
その頃は、土の中にほんの少しだけ目の辺りを出した状態で埋められて、海を見ているように言いつけられました。

 太平洋戦争の末期、米軍は北海道の道東にも上陸作戦を計画。さらに同時期に十勝沖で日本軍駆逐艦が米国軍潜水艦に撃沈されていたこともあり、道東防衛を担当した陸軍第七師団(帯広:当時)が1944年夏から秋にかけてまさに突貫工事で多くの数が築かれました。この石亀たちが本来の目的を担うことはなかったようですが、海から来る驚異に対し緊迫状態の中での誕生です。

Dscf4738 石亀、またの名を『トーチカ』。この配置計画は同年1月から3ヶ月間で策定され、この地から網走までの海岸線に最低48基必要とされましたが、実工事では担当の連隊長が地形、効用などを考慮して現地で判断したため実際には、かなりの増減があったようです。
そのため、戦後この付近の調査では、コンクリート製29基・木製(!)8基の計37基が築かれたようです。北海道全体では当初計画の数倍の数が築かれました。

 ところが当時、物資不足の煽りもあって鉄筋入りを計画しましたが、使うことが出来ず、結果コンクリートのみで作製されました。骨材は漬物石レベルの大きな玉石が平気で混ぜられました。その様子が現在も確認できます。あまりに骨材が大きかったのか壁の下のほうに沈んで、地層のようになっています。

Dscf4770

 昔、社会の授業で当時の戦争に触れた折、その扱いは、必ずしも事実を正確に教えていたわけではなく、まだ『侵略→侵攻』としていた頃でした。その戦争に関して先生も躊躇があったのか、お茶を濁したようなあいまいな進め方だったようです。
 だから、『戦争』知っていたけれど、どこか知らない遠くの国の出来事的な印象でした。少なくとも自分のいる町の中では…

 海辺へ流木拾いに行ったときにこの光景を始めて目の当たりにしました。
海を目指す石亀の群れ…海が脅威であったはずなのに…

Dscf4755

|

« 海を見つめる巨大ガニ | トップページ | 石亀、平和の海へ帰る ② »

コメント

一番下の写真、砂がかなりなくなってしまっていて驚きました。
下が重いから、引っくり返ることはないかと思いますが、
不安定な感じですね。

投稿: のん | 2007年6月 1日 (金) 20時49分

 数年前に訪れた時より回りの風景が前の地震による津波の影響か様変わりしていました。土手もすっかり削られたようで行く先が心配です。
1番は小ぶりのわりにしっかりしたものですが、コンクリートの石灰分がかなり溶け出してきているようにも見受けられます。

投稿: ねこん | 2007年6月 2日 (土) 18時50分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/210516/6598772

この記事へのトラックバック一覧です: 石亀、平和の海へ帰る ① :

« 海を見つめる巨大ガニ | トップページ | 石亀、平和の海へ帰る ② »