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2007年5月31日 (木)

石亀、平和の海へ帰る ②

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 始めて、ここに来てトーチカの群に出会ったとき、思い出したのが『猿の惑星』。

Dscf4749  3人の宇宙飛行士の乗る宇宙船が航行中に機器のトラブルで地球と似た状況の惑星へやむなく不時着。そこは無人の惑星と思いきや独自の文明を持つ、オランウータン・チンパンジー・ゴリラの猿族が統治する猿の惑星であった…そして、この惑星には人類もいた。しかし、高度な文明を持つ猿たちに反して言葉さえ持たないまでに下等な種族になってしまっていた。

 猿族は人間を狩り、家畜や奴隷として虐げていたのだが、そんな地球とは相反する世界に投げ込まれた3人はやがて仲間を猿たちのために失い、残ったひとりは猿族の首長であるオランウータンを人質に逃亡を図る。

Dscf4751_1  逃避行の果て、逃げ延びた最後の一人は猿族が忌まわしき場所として立ち入ることのない地域に入ることに成功。
 しかし、そこで見たのは信じられない光景であった…

…と、まあ全部書いてしまうと見ていない人に失礼なので要約しますが(リメイクもあったし知らない人がいるかな?)、この砂浜でトーチカ群を見たときのショックは、この映画のラストシーンに近いものがありました。
 それを見て『トーチカ?』とは思いましたが何せ、なんの事前知識もなく忌まわしき戦争からほど遠い世界で生きている自分にとってこんな近くにある戦跡はかなりの衝撃です。
それも海から来る敵を迎え撃つ防衛ラインですから、後の調べで配備はしたが使われることはなかったと知るまでは、ここは戦場であったと思いました。

Dscf4744  これだけのトーチカが残されている場所(元々半地中に築かれていたが海水の浸食により完全に露出して海岸にるいるいと横たわっているので『残されている』という言い方は当てはまらないかもしれません)は、実はそれほどあるわけではなくこの辺りの海岸の開発がさほど進まなかったことと戦後の駐留米軍が破壊しなかったことがある意味幸いしていたようです。

 1メートルほどの深さの穴に築かれ、完成後に土を被せるという造りで、実際にはこのようなトーチカは艦砲射撃にあえばこっぱみっじんに飛び散る脆いものであったようです。

 使われなかったとはいえ、水際に置かれた陣地は即戦争をイメージするものにはちがいありません。   (つづく)

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2007年5月30日 (水)

石亀、平和の海へ帰る ① 

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 その海岸へ出ると奇妙な光景が広がっている
海岸線沿いの砂浜を数多の巨大な石亀が海を目指していた…

Dscf4764  その石亀の歩みは、とにかくゆっくりとしたもので、ここまで這ってくるのに60年ほどかかっているでしょう。この亀の誕生は多くの人たちによって比較的短い期間で行われました。
その頃は、土の中にほんの少しだけ目の辺りを出した状態で埋められて、海を見ているように言いつけられました。

 太平洋戦争の末期、米軍は北海道の道東にも上陸作戦を計画。さらに同時期に十勝沖で日本軍駆逐艦が米国軍潜水艦に撃沈されていたこともあり、道東防衛を担当した陸軍第七師団(帯広:当時)が1944年夏から秋にかけてまさに突貫工事で多くの数が築かれました。この石亀たちが本来の目的を担うことはなかったようですが、海から来る驚異に対し緊迫状態の中での誕生です。

Dscf4738 石亀、またの名を『トーチカ』。この配置計画は同年1月から3ヶ月間で策定され、この地から網走までの海岸線に最低48基必要とされましたが、実工事では担当の連隊長が地形、効用などを考慮して現地で判断したため実際には、かなりの増減があったようです。
そのため、戦後この付近の調査では、コンクリート製29基・木製(!)8基の計37基が築かれたようです。北海道全体では当初計画の数倍の数が築かれました。

 ところが当時、物資不足の煽りもあって鉄筋入りを計画しましたが、使うことが出来ず、結果コンクリートのみで作製されました。骨材は漬物石レベルの大きな玉石が平気で混ぜられました。その様子が現在も確認できます。あまりに骨材が大きかったのか壁の下のほうに沈んで、地層のようになっています。

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 昔、社会の授業で当時の戦争に触れた折、その扱いは、必ずしも事実を正確に教えていたわけではなく、まだ『侵略→侵攻』としていた頃でした。その戦争に関して先生も躊躇があったのか、お茶を濁したようなあいまいな進め方だったようです。
 だから、『戦争』知っていたけれど、どこか知らない遠くの国の出来事的な印象でした。少なくとも自分のいる町の中では…

 海辺へ流木拾いに行ったときにこの光景を始めて目の当たりにしました。
海を目指す石亀の群れ…海が脅威であったはずなのに…

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2007年5月29日 (火)

海を見つめる巨大ガニ

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 昨年度(06年)いっぱいで閉鎖された海の見える海のテーマパーク『シー●イドパーク H』。
今は無き、その施設は町民に限らず思い出深いところですが、今は遊具設備も取り払われ、水族館は養殖事業に転用されているようです。

 ショーで楽しませてくれた海獣たちも海へ帰されたり、他の施設へ行ったりしましたが、移動にはしのびないセイウチなどは、この施設に残されています。ただ現在は一般公開はされていません。遊具の消えた敷地には、己の境遇を知らされなかったクロッカスやスイセンが静かに花を咲かせていました。
 この夢海岸、現役期の雄姿は我、師匠のサイト『北海道廃墟椿』でご覧いただけます。

 ここから海沿いを走り、博物館を越えた辺りに上の物件が目に飛び込んできます。
昨年、公園のラストシーズン期には、ここもまだ使用可能でしたが。公園と共に閉鎖されてしまったようです。
 道なりに反対側から来ると普通のトイレなのですが、遠くからでも目に付く巨大ガニは『直売所?』と思われるほど壮観。 現役時、利用したときは中は何の変哲も無いトイレでした。便槽の底には無数のカニが蠢いて…ということもありません。

 『カニがあるならイカとかサンマも…』と思い探しましたが、ここひとつだけのようです。
色も当初は茹で上がりの赤であったと思えますが実際はどうだったでしょうか?

 人の集うことも少なくなったこの地に(キャンプ場はシーズンは現役であるようです)今も巨大ガニは残り、その表情は静かに物思いにふけっているようにも見えました。

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2007年5月27日 (日)

まごころのころも

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 凍てつく冬の数ヶ月間、大地のカンバスが元の純白に戻りその間絵筆を取ることを禁じられていた大自然の画家たちは春の訪れと共に意欲的にかつ、迅速にカンバスを染め上げていく。ある意味狂ったかのように鮮やかな色の乱舞がくりかえされていく…今年の絵の具箱が空になるまで…

 その季節の映ろうさまに目もくれず一点を見つめ続ける男女。その視線の先には何が有るのだろうか。将来・未来・夢・希望…最後にこんな目をしたのはいつですか?目は生ものです。心の伴った眼差しのことです。

 この地にはもと、高等学校があり校舎の老朽化から新築移転し、旧校舎は取り壊されました。この旧校舎は6,797名の熱い眼差しをもつ生徒を送り出し、新校舎に任を譲りました。 その後、同窓会有志の働きかけでこの地に「ふたり」がやってきました。
 あられもない姿ですが、むしろそれが自然体であり、志が己を飾るのだと言うかのように自信に満ち溢れています。 私たちは飾るものの力を借りすぎているのかもしれません。(自信があるからと言って軽はずみな行動で品性を落とさないように…)

 「ふたり」もこの地がけっこう長くなりましたがいつの頃からか冬のいでたちに変化が出始め、地元新聞にも報じられることがありました。

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Photo_9  男子の方は少々珍妙なようですが冬のコーディネートです。
 誰の計らいに寄るものかは別として人形(ひとがた)はもちろんのこと、針や刷毛すらその命を全うするときにはきちんと供養するそんな日本人気質がここにもありました。

 日本は八百万(やおろず)の神の国。それは単に諸外国の精霊信仰とは異なる趣があって物にも心あることを認め、その気持が物を大事にし、「もったいない」ということにつながっていきます。
 『もったいない』という言葉を万国共通語にするような世の中の動きもありますが言葉だけではなく、どこからその気持が生まれるのかということも伝えてもらいたいと思います。

 物の豊富さゆえにその発信地が人形やぬいぐるみをごみ袋に放り込んであるのを見ると少々胸が痛みます…

こころなしか少年の右足に寒さに耐えている感じがあります。

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2007年5月26日 (土)

廃ボウリング場の闇に潜むもの 『出現』

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Dscf4481  暗闇に惑わされながら歩くのは、恐怖感半分、好奇心半分。ほんの少し興味の方が勝っているようで、なにやら期待をもって見てきました。
 30数年閉ざされた内部は思ったほど物は残されていなかったようです。それでもいくつか当時のままの断片が残されていました。
 カレンダーは1974年。時計も当時の時間を凍結しています。神棚は奉り人も無いまま、この城を静かに治めています。

 外部のバリケードを修復するまでは建物上部の明かり取りの窓(ガラスは割られている)から鳩が内部に自由に出入りし、ひとつのコミュニティが創造されていたのでしょう。
 それも今ではネットが張られ、内と外とが遮断されてしまいました。内に取り残されたものは二度と光の中に飛び立つこと無く、闇の中で力尽きていったのでしょう。彼らにとってはカラスやそのほかの猛禽類そして人間にも脅かされない安息の城には違いなかっことでしょう。

 頭の中に心地よく響く並んだピンの破裂音。感嘆と歓声。重い玉に込められた小さな祈りと祝福の笑顔。それらが蒸発したかのように消え去り、あるいは持ち出されて城は人が去ることで放射冷却を起こしたかのように冷え込んでいきました。
 ここは町の栄華を知らせる遺跡であるかのように静かにたたずみ、今日も変わらず朝日と夕日をうけて通りを見つめています。

 このなかに光が射しこむのは、この地から城が消える日までは無いことでしょう。

Dscf4460  最後にフロアの奥に実況席のような小部屋がありました。
昔、テレビで見た『人食いアメーバの恐怖2(ビデオ既出:廃版?)』というSF映画がありました。調査隊が南極から持ち帰った検体(ブロブと名づけられる)が動物や人を食べながら増大し、それを目撃した一組の男女が人々にうったえるが信じてもらえず、クライマックスには町で一番人が集まるボウリング場になだれ込んでくるというストーリーです。
 先の男女がボウリング場で最後にブロブに追い詰められるのがこんな部屋でした。
アメリカ映画ですが時代的には「●ボウル」と一致すると思います。機会があったら見てみてね。

これで30数年封印された『●ボウル』の報告を終わります。

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あれ? 何か忘れていましたね。
『一体何が出たんだ!?』ってところでしょうか…
画像は撮っておらず、また後日画像の再チェックでも出てきませんが確かに出ました。
そのことをお話します。

 『●ボウル』探査に伴い、連れに「30分くらいで終わるから一回りしてきて」と別れ、探査終了後正面入口あたりでTEL。そこで待っていたとき。
 改めて外からバリケードを見ながら「頑丈にしたものだな…」と見回っていました。修復前、外から死角になる部分が破られて大きな穴が開いていて「この辺りからは入れたんだ…」と手を当てながら見つめていたそのとき…

「ドン ドン…」 中からこちらを追い払うかのように叩き返す音。「ゲッ!なんだ?」
思わず後ずさり。なおも音は「ドン!ドン!ドン!ドン…」と大きく、早くなってきます。
「えっ!やばい!やばいよ…」とっさに入口階段の下にとりあえず避難。眉唾とはいえ噂のあった場所なのでとりあえず逃げようかとも思いましたが、こんな時間にこんな場所でいったい…正体を見届けたい気持が勝り、気配を殺して様子を伺います。

 夜空の下、幹線沿いとはいえ裏には住宅街を抱えるこの場所で、怒りに満ちたように中から板張りを壊そうとするもの…中にはなにもいなかったはず…
連れにメールを送り、少し迎えを待たせて音の位置が確認できる物影に移動。

「バリン! メキメキメキ…」 ついに何かが出てくる様子。
そして、中から這い出るように影が抜け出してきました。そしてよろけるようにして立ち上がると回りの様子を調べだしました。(移動してなかったら見つかったな…)

 中から出てきたのは、50代半ばの男。最初から中にいたようで潜入時、こちらに気づいて潜んでいたようです。でも、こんな時間にここで何を?同業者と思えないこともありませんでしたが、そうではない様子。
 男は少し離れた公団住宅の中に消えていきました。背には中で見たリュックが…。

 おそらくこの男は中へ銅線狙いで侵入していたようです。中で見た電線被膜の山・ワイヤーカッター・マスク入りのリュック
 銅の不足から回収業者のところにも「銅線高値買取します」の表示があるので目的は電線でしょう。残されているものは少ないとはいえ、目ざといものです。
 でも、あの闇の中でひとり黙々と作業していたと思うと、しかるべきところに報告という気にはなりませんでした。

 中にいる間、ずっとこちらの様子を伺い隠れていたようです。 もし、内部で知らず知らずに追い詰めていたと考えると、はちあわせした場合、非常にまずかったですね。それはここに限ったことではないですし…

ご用心のほど…

後日「●ボウル全画像(未使用含む)解説」公開します

※ここは上記のような危険をはらんでいる上、非合法的な侵入は本来不可です。
 何より霊現象よりもリアルな危険性があります。

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2007年5月25日 (金)

廃ボウリング場の闇に潜むもの 潜入編④

Dscf4450  ふと、思いましたが自分の手もまったく見えない闇を体験するのは何十年ぶりでしょうか。夜が暗いのは当たり前とはいえ、外灯がなく、星の見えない曇り空でも夜空に稜線を確認できたり、ポケットから出した小銭の種類くらいは分かるようで、本当に真っ暗な闇を体験することは意外に少ないのかもしれません。そんなことを思いながら濃縮された闇をひとり歩いているのも妙な気がしました。この闇の中からいきなりホッケーマスクの怪人が…なんてことが頭を過ぎると少し恐怖感が頭をもたげてきました。

ちょっと恐怖体験風に行ってみましょうか…

 防塵マスクをしているとはいえ、カビの匂いが鼻をつく牙城の中にいます。
ここは人の世から封印され長い間、現世と隔絶されてきた場所。
ボウリング場ながらレーンは既に無く一面の広いフロアの中、ひっそりと並ぶ棚が墓標のように見えました。

Dscf4476  比較的最近と思われる鳩の屍骸が点在しています。目立った外傷も無く、飢えていたようにも見えませんが何があったのでしょうか?
こちらにも、あちらにも…まるで何かに魅入られ、取り殺されたかのように…
 頭上を見上げたところどころで崩落が始まっている天井の穴が不気味に口を開け、そこからこの世のものではない何かが様子を伺っている…そんな気もしました。
 気が付くと向こう側の壁に奥へ続く通路があります。この広さゆえ、ライトの光が届かなかったとはいえ、忽然と現れた通路のその先にはいったい何があるのか?不安と好奇心のはざまで揺れつつ奥へ入っていきます。

Dscf4448  そこにあったのは、「トイレ」。 なーんだ…と少し安堵をつきながらライトを中へ向けると手洗い場の大鏡でした。30数年前とは思えないほど現代的な作りです。ここだけ見ていると廃墟とはとても思えません。…待てよ、あれは?

 手洗い場のカランに気を取られていました。鏡に映る反対側の壁に奇妙な汚れが…これは何? 血で書きなぐったような巨大な文字(のようなもの)。これは何かのメッセージなのか、それともここに入った者への警告なのか。背後に大きく広がる闇が重くのしかかってきました。

 言いようの無い不安に駆られてホールへ戻ると、ここに入ってきた位置を見失っていました… いたずらに歩き回るよりも壁沿いに進んだほうが良いと判断し、進んでいきます。本能的に壁際なら闇を片側のみにして警戒できると思ったのでしょうか。気が付くと歩調も速くなっていました。ややあって先のほうにまた、通路を発見。様子を伺います。

Dscf4456  中は壁紙も貼られておらず飾り気のない部屋ですが広くなっています。大きなタンクやパイプがあることからボイラー室と思われます。脇に窓とドアを見つけ、ノブをひねってみますが開ける事ができません。このドアは鍵がないと開かないタイプのドアのようです。窓のほうはワイヤー入りのガラスがメチャメチャに割られ欠片が散らばっています。
 まるで取り乱して強引に脱出を試みたかのようでした。割れたガラスの向こうは押してもびくともしない厚い板で外側から封印されています。

Dscf4455  ここは外からも入りにくいが、中から出ることも難しい…そう思ったとき

「キー…ン…」 
 
ホールの遠くの方から金属を床に落としたようなラップ音。

「ここには、やっぱり何かいる?!」


 さて、ねこんの運命やいかに。闇の中にいたものは何なのか?そしてこの恐怖の城から無事脱出することができるのか?
この続きは明後日といたしまして本日のところは、これまで!

なんか、紙芝居みたくなっちゃいました。
いやーっ廃墟ってホントにいいものですね。(←それは映画)

(次回完結)

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2007年5月24日 (木)

廃ボウリング場の闇に潜むもの 潜入編③

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 狂乱物価の犠牲者とも言えるこの亡骸の中、ハンドライトの光に闇が生き物のように退きます。静かに用心深く歩いているつもりですが、やや埃がたってオーブ状のものが写りこみます。たぶん、ほとんど鳩の糞だから防塵マスクがあって良かったと思いました。

Dscf4446 2階の部屋はミーティングルームのようで2間続いていました。ソファーが数脚ある他はほとんど物は残ってはいません。ところで不思議とこの部屋には窓がありません。全て壁で塞いであるというよりはじめから窓は作っていないようです。1階も入口正面のガラス張り部分以外窓はありません。窓があるのは主にスタッフルームとホールを囲むボイラー室だけになります。

Dscf4454  『キン…』 ホールの方からかすかに金属音が。鳩かな?鳩だよね。どこかにまだ、入れる所があるのか…。一応、ライトで確認しますが広い闇の中では奥まで確認できず…
 ここから撮影したのがトップの写真ですが、中央付近になにやらストロボ光を反射するものがあります。そこに行ってみようと1階に下り、階段を回り込むと…備品などの山。
 2階を片付けたとき、上からここに物を落としていたようですね。

Dscf4445  トップ画像で分かりましたが正面から見て右の方(画像では下の方)にはレーンは無かったようです。
 レーン入口にある棚の並びが途中で途切れてロビーと同じ赤いじゅうたんが張られています。レーンとの境目には壁のようなものが倒れています。この壁がボールを叩き込んであった壁です。壁といっても垂木の枠に板を打ち付けてあるもので片側にカーブがあり何らかの看板(大会などの)であるようです。ボールなどが乗り、重くて確認はできませんでした。

 実際、内部探索中は真っ暗で、方向感覚は全く分からなくなりました。後で画像を見て把握できましたが、この時は『さっきの場所』にも行き着けないほどです。窓は全て板張りされ、それが古いものと新しいものを重ねて打ち付けてあるので昼間でもその暗さは、ほとんど変わらないでしょう。

 さっきの『光を反射するもの』がある場所を階段の位置を見ながら行ってみますがなかなか見つかりません。
 ここかな?という場所に来てみると短く切られた廃線コードの山。それにわりと新しく見えるワイヤーカッターもありました。作業の途中で忘れられた異物であるようです。

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 そこからさほど離れていないところにデイパックが放置されています。これは新しい…。
中をチェックすると今時の薬店やスーパーで購入できる防塵マスクが入っていました。埃も被っていないので、ごく最近ここに入った者がいたようです。やはり、内部において視界が利かないところから置いた場所が分からず、たいしたものも入っていないことから放置していったのでしょうか。
 心霊風に言うならば、『あまりの恐怖に取るものも取りあえず逃げ出した』と表現できそうです。

(つづく)

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2007年5月23日 (水)

廃ボウリング場の闇に潜むもの 潜入編②

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Dscf4437  入口からロビー周辺にいます。フロントやレストラン(カウンターのみの小さなものだったようです)など残されているものが結構あります。
貸しシューズ券の自販機があります。貸し出し券の販売機でしょうか『50円』やっぱり安い。現在は300円ほどするそうですから…これが「オイルショック」を迎えた頃の価格かどうかは不明ですが、当時のガソリン価格が前年(73年)の50円程度からオイルショックを迎える翌年、100円にまで値上がりするという驚異の上げ幅で工業製品もその打撃から高騰。当時の食料品を含む流通品の価格は5割増しから2倍という現在の物価上昇率とは比べ物にならない値上げが続きました。この時もやはり当時の中東情勢が関係しました。
 物不足からお金があっても買えるものがお店にあるのか?という不安にさいなまれる状況もあったそうです。

 『●ボウル』の親会社は、さらに原材料の生パルプ価格の高騰から他業種よりもはるかに打撃があったようです。おりしも巨人軍、長嶋茂雄引退の年
 世相も終末観が射したのか『ノストラダムスの大予言』『エクソシスト』などの世紀末的映画やオカルト映画が公開されています。そんな世の中、ボウリングブームの衰退以前にそんなご時勢ではなくなったことでしょう。

Dscf4433  探査に戻ります。券売機の近くにシューズ貸し出しのカウンターがありました。特徴的なのは棚に書かれたシューズのサイズ表記です。24.5㎝の表示に『10.3文』との表記もあります。1文がおよそ2.4㎝で、当時はジャイアント馬場が現役全盛期で『16文キック』なる技(?)もあったほど、単位として『文』はまだ普通に使われていたのでしょう。こういう発見は嬉しくなります。

Dscf4474_1 カウンターのみのレストランは10席ほどのカウンターに囲まれた小さなところです。奥にはわりと大きな厨房があるのでカウンター席以外にもロビー部分にガーデンテーブルなど置いてオーダーを受けていたと思われます。写真でもいいから栄華のころが見てみたいですね。
 この場を離れ、回りの様子を伺うと階段がありました。ロビー部分には2階があったのです。階段の造り自体はまだ、しっかりしたものですが鳩の糞だらけ。それも厚みがあるのでなるべくさけるようにしながら登っていきました。
 上段の踊場からホール方向を伺うと闇のせいもありますが建物の外観以上に奥行きを感じました。
 しんとした空間に時折、正面の板張りの木材が夜の冷え込みに伸縮して『ピキッ』というような乾いた音をたてます。別な言い方をすると『ラップ音』というのでしょうか?天井部分も徐々に崩落していくようで屋根裏の鉄骨が覗いています。この強固なフレームが壁や柱のほとんど無いこのホール全体を今も支え続けているのです。無機質な色合いに変わった内部に花を添えるかのような鮮やかなオレンジ色が美しい…

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(つづく)

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2007年5月22日 (火)

廃ボウリング場の闇に潜むもの 潜入編①

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 元町民の方からコメントを頂きました。ありがとうございます。
 Y市の炭鉱やK町の旧国鉄線橋梁群などのように産業遺産としての意味づけには該当しないのかもしれない『●ボウル』。でも、ここも当時の面影を伝える文化遺産ではないかと思えます。

 その内部は、まるでカタコンベのように外と隔絶していて独特の空気感があります。
 湿気がありながらも冷ややかでカビ臭く、さほど奥までいかないうちに完全な闇。厚い鉄筋コンクリートの内部は5月とは思えないほど低温でどちらかというと寒い…(I町で低温貯蔵庫に利用されるのは、これを逆手にとってのこと?)
 防塵マスクを付けながら少しでも闇に慣れないかと目を凝らしてみましたが、内部は暗いというよりも暗闇を幽閉したかのようで、重い雰囲気が漂っていました。
これだとよからぬ噂も立ちかねないですね。

 廊下を奥へ進むとほどなく床が崩壊している部分。なんとか通り抜けられないかとつま先でつついてみると床板はウエファースのようにポロポロと崩れ落ちるほど痛んでいました。立っているところも歩に合わせて横の壁が軋んできます。ここを進むのは回避します。横の壁板が剥がされているところ(本来は壁)から脇の部屋へ直接入りました。

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 と、いきなり広い空間。ハンドライトの光では端まで照らし出すことができない遊技場部分。しかし、ボウリングのレーンや機器の類はまったくありません。

Dscf4431 心霊現象以前に噂の出現場所そのものが存在しなかったことになります。どこが2番か3番か分からない広いワンフロア。機器類は、すでに閉館時に処分されていたようです。 この広いホールは当時、2次利用が予定されるも得策のないまま時の流れから忘れられていったのでしょう。

 管内近郊町での二次利用の例としては、
S町=トレーニングウエア工場(現在解体)
O町及びO市=スポーツ施設(現在解体)
I町=農業関連低温貯蔵庫(現役) 等…

ほとんどは同ボウリングブーム期の建設のため老朽化し、数年前まで残っていたものも改装より解体が選択されました。
 このボウリング場は、老朽化の度合いはあるものの他町と比べても明らかに異なる屈強な建物で、このまま放置されてもまだ20~30年は外観に歪みもなく残るのではないでしょうか。

Dscf4427  闇の中に何かが見えてきました。ボールが結構な数残されていて横たわる壁の残骸にめり込んでいました。放置されたものを壁にぶつけて遊んでいた人がいたようです。入ってきたところの壁も同じように『きもだめし』と称する荒らし行為に攻撃を受けて壊されたようです。天井は壁紙が湿気で剥がれだし、雨水の侵入もあるのか数箇所大きな崩壊部分もあります。
 外から見ると、建物の大きさから上下2階建ての造りを予想していましたがワンフロアのみでした。ただ、間口のほとんどをレーンに使用していたので左右30レーン位はあったでしょう。

Dscf4475   レーンへの入口(段違いになり、物置などの棚がある部分)が当時のまま残っています。
この辺りから周囲は鳩の糞が一面に堆積しています。防塵マスク無しではかなり体に悪いですね。どうもこういうところには(広いけど暗いところ)には野鳩が営巣する習性があるのか廃校や廃工場にも同じように糞まみれの場所があります。
 鳩の死骸もかなりの数、落ちていてバリケードの修復時に建物上方の明かり取り窓のガラスを割られた部分が網で塞がれたため、出られなくなったのでしょう。
 正面のちょうどバリケードの裏側まで来るとガラスもかなり割られて欠片が散らばっていました。

「カター…ン」 小さいながらも何かの動くような物音。辺りをハンドライトで照らしてみましたがこの広さゆえ、奥までは光が届きません。たぶん、鳩がまだ生き残っているのかな?

     たぶん…

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つづく

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2007年5月21日 (月)

廃ボウリング場の闇に潜むもの 探索編

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 グループ化によって巨大化した企業がその反面、管理が行き届ない部分があるお話をしましたが、それ以前に既に企業から忘れられてしまったかのような『●ボウル』。現役時に利用した方のお話が聞かれれば良かったのですが、近隣数件の訪問でそれを得るには無理があったようです。
 それというのもこの回りに広がる住宅地は『●ボウル』閉鎖後の造成であるため、当時は幹線道沿いとはいえ、回りには何も無かったこの地に繁栄時を知る人は、いませんでした。
 ただ、『●ボウル』の真東に位置する辺りでは午後ともなるとその巨体が陽をさえぎり、虚ろな影を降ろすので「取り壊してもらいたい」と言うのが本音。また、以前のバリケードを壊して侵入(肝試し?)する輩もいて物騒だということで地区行政筋から、しかるべき指導がありましたが1千万近くかかる解体費を出すよりも、とりあえずの封印修復となったようです。
 信頼ある筋の調査報告(内部調査は無し)時の写真では修復前であったため、06年の夏から秋にかけて修復が行われたと思われます。

 『いやーっ…中を見てみたいのですがね…』 取材先でのそんな一言から一筋の光明が射しました。(それが本当の光明だったかは計りかねます)
 その経緯は諸事情のため割愛しますが、新たな問題が…他の取材の帰りだったためルイン君(デジカメ)のバッテリーとカードのメモリが怪しい…この漆黒の闇の中では無駄になると思い断念。 次回、まだ可能であればという期待を込めて帰途へ…

 それから数ヵ月後…
陽はとっぷりと暮れていましたが、遠征の帰り道に再確認。 あのときのまま…
「この後のチャンスはたぶん、ないだろうな…」
そう思いながら常装備をチェック…。

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噂は信じない。でも本音は結構引き気味。
それよりも30数年の記憶を封じた巨大な缶詰への興味の方がほんの少しだけ勝っていた。 頼りなのは、ハンドライトのLED君とルイン君。

それでは、漆黒の闇の中へ…     つづく

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2007年5月20日 (日)

廃ボウリング場の闇に潜むもの 調査編

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 幽霊云々の噂があることは確かなようですが以外にそれを知る人は少なく、「幽霊屋敷(?)」との噂は知っていても実際に何があり、どのようなものが出たかという話は聞かれませんでした。
 むしろネット上に出てくる話のほうが具体的ですが、出所詳細は不明しかも情報もごくわずか。また、調査に行きましたという記述もありましたが後日談は出ず…

「2番・3番レーン辺りに出るらしい…」 

との情報を確認していますが聞き込みでは「そんな話はあったね~」というだけで詳しい話は知らずじまいという方が多く、噂自体が中身の無いまま一人歩きしているようで現地情報は得られません。閉鎖から30年以上の経過で噂は風化していったという感じです。

 それでは、この物件は何故、現在まで放置されているのか?
ここの隣町の町史では「ボウリング場の誘致と衰退」的な項が出てきますがこの町の町史や開基記念誌等の文化・スポーツの項は記述は出てきません。しかし、その情報はわりと近くで容易に得ることができました。北海道外の最大手企業●●●●。
 かなり、気負いも感じましたが後日、電話で確認を試みることに…
ところが、先方はまるで解らないというような反応。長引かせると迷惑らしく少々語尾がとがってきたため早々に切り上げました。

「どして?」 自分なりにこの件を調べて整理してみると…

1.このボウリング場のある町の名は日本中に存在したために話が見えない
2.ボウリング場の名も同じものが日本中にあり、なおかつ、この大手企業の本拠
  
地にも現存しているから、妙なことをいう奴だと思われた。
3.この大手企業自体が同業・異業種の吸収および合併によってグループを拡大し
  たため、管理社名が度々変わるが単に名義変更のみの転売のような複雑な構
  造を窓口に把握してもらうのに無理があった。
4.該当する企業との合併から経過年数が浅いため。詳細が分からない。
5.単に土地関連のキャッチセールスと思われた。

ということでしょう。

 そこで、逆を追ってご当地に現在の大手企業の同業社が入っていたという線から探ると道東にありました。1960年操業の準大手企業が。その原材料供給先が道内各所に分散し、当地にも入っていました。なおかつ、その企業の最盛期とボウリングブームが時期的に一致します。

 そして、営業を終了したとされる1974年には、前後してボウリングブームの衰退とこの企業の業種に大きく係わる『オイルショック』がありました。
 ブームの衰退も閉鎖原因のひとつでしょうが原材料はともかく製造・流通に係わる問題だけに採算性の合わなくなった関連会社のボウリング場は即刻閉鎖になったのでしょう。

 現地管理と思われる子会社を探してみますが名義が変わってしまったのか、把握ができません。越年の関係もあるので周辺住民も変わり、それを記憶する人には可能な限りでは見つかりませんでした。

 昨年時点で同ボウリング場敷地自体は立入禁止の柵は無く、周辺の駐車場に使われ、黙認されている感もあります。建物自体は窓をコンパネで板張りされているものの、長い月日の間にそれ自体が劣化、及び破壊の跡があり、容易に入ることが可能な状況でした…そのはずが…

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 現在、当ボウリング場のバリケードは更に屈強に補強されています。
この時点で内部調査はあきらめていました…

つづく

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2007年5月19日 (土)

連載100回記念 廃ボウリング場の闇に潜むもの 概要編

Abowl

毎度さまです。おかげさまで『ルイン・ドロップ』連載100回目を迎えました。
ごひいきの方、お気に入りにご登録くださいました方。北海道廃墟界各位様。そして北海道廃墟椿運営のカナブン師匠に御礼申し上げます。

 100回目としてどの物件をアップしようかと思いましたが(そんなに手の内あるんかい?)、ルイドロ最大の物件は、今だ追跡監視中であることから後の機会へとして、今回はルイドロ最恐体験報告にします。

Dscf0050 舞台は 某廃墟ボウリング場  その簡単な歴史と概要

 国道の合流点近くにこのボウリング場が存在します。始めて意識したときから廃墟と化していました。このボウリング場の誕生はボウリングブームを背景にした60年代末から70年台初頭。業界の人気プロボウラーの輩出が拍車をかけて全国的にブームが爆発。
 全盛期には100メートルおきにボウリング場があるといわれたほどの今からは想像できない流行で、およそ業界とは無関係な事業者までもボウリング不毛の地を探して建築ラッシュが続きました。全盛期、いまのようにスコアが自動で記録されるものではなく、自己記入によるものですが、どんな地方でも1日のゲーム数は軽く3桁は、こなしたようです(本当かな~)。当然待ち時間も2~3時間はざらでした。地方においては劇場が減っていたこともあり、新たな娯楽として急速に普及していきます。当時の貸しシューズが1回およそ50円。訪れるお客さんの全てが常連と言っても決して言い過ぎではなく、その大半の人がボウリング場用の衣装を用意するほどで一種の社交場(ナンパの発展場?)であったそうです。

Dscf0049  しかし、そのブームも数年加熱したとはいえ一時の流行に過ぎず、業界は急速に冷え始め、集客力は全盛期の10分の1にまで減少。やがて他の民間や地区行政などに経営の売却がなされ、営業が続けられますがブーム衰退の加速は止められず、大半がやむなく閉鎖。建物は広い内部を利用して工場やスポーツセンターや倉庫などに転用されました。
 今も残っているボウリング場の建物は、そうして生きながらえたもの達です。
シンボルであるボーリングのピンは事業所の看板代わりに使われたり、交通安全の啓発標識に使われたりと繁栄期の欠片を時折見かけることがあります。
 かつてこの町にはふたつのボウリング場が存在し。一方は80年代ころまでは現役でしたが、やがてレストラン部分を残して廃業。やがて全てが取り壊され、あらたに飲食店が置かれました。

 方やこのボウリング場は30数年の間、他のものに転用されることなくこの地で存在し続けたことになります。
 一度も転用されていなかったことにも驚きましたが、いつの頃からかここに幽霊出現との意外な噂が出始めました。 

ボウリング場に幽霊?

  つづく

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2007年5月18日 (金)

明日で連載100回です。

Dscf3719

みなさん こんにちは
『ルイン・ドロップ』も2月(仮開設は1月末)から初めて早、100回を迎えます

小学生の頃、意気込んで始めた絵日記も10日くらいしか続かなかったのに我ながら感心してしまいます。これも片意地のなせる業なのでしょう。
 大半は方向を逸脱したような物件やテーマが多い感もありますが相棒のルイン君(デジカメ)がいつも同伴で目に入るとともかくシャッターを切る癖がついて数だけは消化しているようです。

 こういうサブカルチャー界に参入するのは初めてに等しく、それまでも廃墟などを時折、見て歩くことはありましたがネット参入する意思は無く、自己完結の世界でした。
 サブカルといっても奥は深くなっていくもので先日『2ちゃんねる』の「廃墟サイトスレッド」なるものを始めてまともに閲覧しました。思うところは多々あります。「侵入の違法性」「侵入の助長」「サイトの派閥と利権」などそれに関して自分で思うこともたくさんあります。
 その昔、漫画同人誌なるものに関わっていて『萌~!』と言う言葉はまだ出てこない頃ですが、アニメや漫画など内輪での和気藹々たる世界的イメージがありますが、その世界も派閥や利権や憎悪がありました。これはある程度年数が経ち、深みの出てきたどんな世界にもあることなのでしょう。

 しかして、我々の集う、この世界も好きで入ってきたことには変わりないと思います。
人それぞれに入口は違うにしても目指すところは同じであったはずで、同士お互いの非難やけん制を目的にしたわけでは無いと思います。
 始めは純粋に廃墟美を愛でる愛好家であって、決して単なるトレジャーハンターか山師ではなかったはずでしょう。
 刺激を求めるばかりに合法・非合法のスレスレの線にあったことが非合法にどっぷり抉りこみ、それが『凄いだろう!』ではあまりにも空しく感じます。いつか探査に限界がくるか、自分の命運が尽きるでしょう。良心に引っ掛かりがあるのであれば少しでも合法化することは充分可能なのです。

 自分のスタンスの確立以前に我々に驚異と感動を与えてくれるそれらの物件にせめてもの敬意を持って接していくべきではないでしょうか。『ルイン・ドロップ』において、願わくば忘れられた幸福の砦に考える限りの有終の美を現せればと思います。ただ、それにはまだまだ至らぬ技量ですが…

 紹介してきた物件の訪問に先立ち、情報収集・承諾確認に際して、ご理解とご協力並びに過大なるお志(サツマイモやキャベツのお土産、昼食のご馳走など)を頂きました方々にこの場をもって改めて感謝申し上げます。ある意味、こういうことをやっていて良かったなと思いました。

連載100回と誕生日を迎えるにあたり          鯖虎ねこん

新参者の人を食ったような発言でした。お気に触れば、ご容赦のほど…

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2007年5月17日 (木)

鳥居の中の廃校 弐

 Dscf4911

 内部は廊下の一部を残して大半が剥がされているため天井がとても高く感じ、教室・体育館の区別が付きづらくなっています。
 これが校舎の全体であるかは、この学校自体の閉校誌及び学校文集の類が未発見であるため把握できていません。現存するのが体育館と短い廊下でつながれた教室とおぼしき部屋がおそらくふたつ。
 壁が無いため3つだったのかもしれません。

 体育館外側の補強の柱が特徴的です。これが板状になっている体育館は、良く見ますがこのタイプは珍しいかもしれません。内部に柱が少ないため必然的な補強なのでしょう。後になると完全木造型でもこれらの補強が無いものも数多く存在します。
 全体は木造モルタル平屋の校舎。塗り壁に痛みは少なく、これはもう、玄人の仕事であったのでしょう。ガラス保護のための鉄製の内窓が特徴的です。

 校門・正面玄関・グランドの痕跡が見当たらないので、若干『本当に学校?』という感も拭いきれず、また辺りには閉校記念の碑などは無く(地区開拓記念碑は神社の近くに有り)21年という短い校史ゆえ、学び舎に対しての想いは希薄であったのでしょうか。
 それでも、ここから巣立った生徒たちは50代前後。近所の農家には当然卒業生もいることでしょう。情報の地域格差が大きかった時代、多感な時期を過ごした当時の生徒たちは何を想い、何を感じていたのか興味はつきません。

 体育館内部へと入ると数羽の野鳩が中で営巣していたのか、侵入者に驚いて梁がむき出しの天井付近を暴れて右往左往しだしました。

 ふと見上げたところに体育館のステージ部分があったとおぼしき痕跡があり、そこに校章があるのが目に入りました。なぜか熱いものがこみ上げて、寂しさに無性に目が潤んでくる自分に気がつきました…

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2007年5月16日 (水)

鳥居の中の廃校 壱

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Dscf4917  農耕地帯の真ん中にこの学校は存在します。それも鳥居の向こう側に。
学校が先か、神社が先か、それは調べていませんが背面に廃校を頂いた神社も珍しいですね。郷土史で見つけ、この日はカナブンロードを南下してこの学舎を目指しました。

 いざ。探すとなると『校舎は大きいからすぐ見つかるさぁ~』と楽観的に向かったは良いけれど管内でもトップクラスの乳用牛頭数の多い地帯でどこもかしこも大きい建物。ちょっと年期が入っていれば全て学校に見えてくる…

Dscf4912  広尾=浦河間を結ぶ国道236号線通称『天馬街道』。そのわき道から入り込んだところに位置しますが、事前知識が無ければ地元人以外は到着不可能。ねこんは何とか行き着けましたがもう一度行って行き着けるかと思うほど目立たない学校です。
 たまたま見つけた道路工事警備員さんに聞こうと止まったところが現地で、まさにルイドロ特派員が導かれた(総勢1名)といっても過言ではありません。
Dscf4914  神社背面の右側の建物、積雪のためか屋根が崩落してしまっています。剥がれた屋根のトタン板が風に吹かれてヒーヒー…と鳴いています。その裏手に校舎と接続していたトイレ、すでに建物はデフォルメがかかって中も崩落していました。今シーズンは雪が少なかったので持ちこたえたようですが、管内でも豪雪地帯なので次の冬にはどうなるのでしょうか…

 どうにも枯れ草が深いので、一度戻って校舎側を見て行きましょう。
事前情報で知ってはいましたが案の定、農機具庫になっています。このように片側をオープンにしてしまうと風のためか内部にあった学びの痕跡が失われることが多いので探索も大変です。少しでも存校時のものはないかと探しますが閉校になってから既に32年の月日はそれを許さなかったのでしょうか、物証に乏しい。

Dscf4907  昭和22年創立。この地には昭和27年に移設しました。バレーボールなどのスポーツ教育に力を入れ、対外試合も積極的だった本校ですが農村地域の過疎化と少子化により昭和43年度をもって、近隣数校とともに他校へ統合になりました。ねこんの通っていた学校も同じ宿命を負っていたので身につまされますが、この学校は校史わずか21年。閉校時の児童数は50名! 果たして廃校の必要はあったのでしょうか。

 この頃から農村部の児童は減少する反面、都市部の学校は人口が集中し、1クラスが50人前後に膨らみ、分校を繰り返す現象も見られました。今ではそれらの新設校も児童数が減少し、校内でサッカー少年団を組織できないような自体にもなっているそうです。

 今は、農機具倉庫になってしまったこの校舎にも大勢の子ども達が走り・笑っていたのでしょうが今はただ、音すらないかのように朽ちていくばかりなのでした。 (つづく)

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2007年5月15日 (火)

たしかにそうだ!

Dscf4330 『北の国から』で有名な富良野市六郷。
近くにあるアンパンマンショップにて。

ここの経営者がジャムの工房を経営しており『ジャムおばさん』と呼ばれている縁からご当地にて『アンパンマンショップ』が開店されています。

 休日にはアンパンマンと撮影会なども催され、ジャムもたくさんの種類のものが試食できます。

 そこにある碑文。
今まで見てきたものの中では一番共感できる文句(アンパンマンの歌の一部抜粋)です。
 みんなアンパンマンに気をとられて顧みられていないようですがこれは、世代共通の真理だな…と思います。 貴方は何のために生まれて、何に生きる価値を見出していますか? ねこんは取りあえず見つけられたと思います。

 ところで、これが初の十勝外の物件になります。これだけではいくらなんでもですね。
下は同じくご当地で見つけた物件。アンパンマンショップとは直接的な関連はないようです。

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 周囲は、ほとんど駐車場と化していて返り見られることもないようですが板壁もいい風合いに変化しています。アンパンマンと関連付けは難かしいがジャムおばさんにとって思い出深いお家なのでしょう。

でもちょっと物置に使われているのが寂しいな。

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2007年5月14日 (月)

ミステリー枯山水

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 ガーデニングブームのあおり、その素材としてレンガや枕木などが相変わらずもてはやされています。今では中古風にしあげた新品のレンガや枕木も出まわり、ものによってはそれらに見立てたコンクリートや樹脂性のものも流通しています。

Imga0417  しかし、元々払い下げの古品を使って安価ながらも風合いに味のある素材として使われていたのがいつしか店舗扱いになり、中古枕木などでも犬釘跡の穴から芯部に虫食いのあるようなものまで3,000円前後で販売されています。
 次に枕木ほどではないにしても注目されたのが質感の同じ中古電柱。1メートル程度にカットされたものがやはり3,000円前後。下手をするとクレオソート注入ではなくコールタールべっとりのとても草花に良いとは思えないような物も店頭で見ることがあります。

Imga0425  そこで一般に注目されたのが、『流木』。近くの川原で容易に集められて素材感が良い。
ここいらの芸術家には新しい素材として『流木アート』なる展開もあり、一般に接する機会も多くなったことから静かな中にも堅実なブームになっています。海辺にいっても角がすっかり取れた自然の造型を見ることがあります。川原や海辺を歩くとアート心を刺激されてつい拾い物をしてしまうのが悲しい性です。

 そんな折、見つけたのが川原の不思議な庭園。砂と石と流木で作られた枯山水風。
それが川原の中にポッカリ置かれたように存在して、しかも毎年その場所が変わります。見つけたときは現在より400メートルほど下流側。その前は更に100メートルほど下流。最初に見つけたときから500メートル移動したことになります。
 形も変化し、一重の楕円形だったものが現在複雑化してきています。

 人間業では無理!という代物ではありませんが、誰が何の意図で築いたのかは興味の尽きないところです。

Imga0420

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2007年5月13日 (日)

早苗の部屋 PART-2

 さすがにGW明けになると全国の廃墟ファンの皆様も現実に戻されるのか一気にアクセスダウンしてきますね。皆様に癒しの廃墟ルポをお送りするべく精進していきたいと思います。
 先日はPlalaからお越しの方に破格のご利用を頂きまして感謝する次第です。
コメントなど頂けますと嬉しく思います。

 また、今回の物件に対して「郷ひろみ」及び「山口百恵」でご覧頂きました方々、好みとは異なるものをご覧になられたと思いますが非常に懐かしいものを見られたと御一笑ください。
 物騒な世の中にあって、このような素晴らしい物件を残している地域の懐の深さにも感謝する次第です。自分に地域の過疎対策にに貢献できる技量があればせめてもの恩返しができるのですが今はせいぜい、ご当地で小銭を使っていくことしか出来ぬことをお許しください。
 また、変わり者の不躾な質問に答えてくださいました方々にはこの場を使って感謝申し上げます。

 該当物件における本来の所有者の方にまず、ご報告及びご了解を得るのが筋ですが出来うる限りの確認作業はしているつもりですが何分、微力で勉強不足であるが故に筋を通せなかったことをお許しください。決して揶揄のつもりではありません。少なからずや感動に基づく念は持っております。ただ、その気持を表し切れず失念している次第です。

 今はここを去られた早苗様に感謝します。

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Dscf4893  でも、これだけ『憧れ』の投影した壁を見つめていると部屋の主の想いとシンクロして、少し、涙をさそいます。南さおりや後に政界に進出する森田健作、桜田順子、西城秀樹など今でも当時と変わらず微笑んでくる。
Dscf4891_1 グラビアはこちら側に目線が来ます。あたかも見つめあうかのように。
   テレビとは違った写真の魔力ともいうのでしょうか。ねこんとは世代のずれがあるので個々のタレントに対してコメントはできませんが、小学生の頃、家に帰るとよくテレビで森田健作の青春ドラマの再放送があって何となく見ていたことを思い出しました。北海道ローカル局が今ほど力が無い時代で放映済み番組放映権を買って再放送ばかり流していた時間帯でした。トムとジェリーなんかもこの辺りの時間帯で、全ての回を覚えるほど見ていましたね。映画なんかも今では絶対ビデオでは出ていない『戦闘機対戦車(独軍戦車と飛べなくなった米軍機の砂漠での追跡劇)』や『殺人ブルドーザー(宇宙生物がとりついたブルドーザーに工夫達がいとも簡単に追い詰められる話)』なんて映画を当たり前に見られた頃でした。昔は良かったとか思う性質ではありませんがそういう意味ではあの頃に戻りたい。

Dscf4890 Dscf4896  それでは奥の部屋へ入ります。この辺りはきれいさっぱり片付いています。越年の煤がくもの巣にまとわり付いて時の重さを感じます。流しもタイル張りのコンクリート製。ステンレスシンクはまだ流通していない時代です。深さは今のシンクより浅いのですが広さにおいては現在に引けをとらない広さです。こんな流しに金ダライを置いて流し水でスイカを冷やしていた記憶がよみがえります。
 最初はきれいでも程なく傷だらけになっていくステンレスシンクに比べて重さを除けば、むしろ合理的かもしれません。これって再燃しないかな…
 カーテンも元のライムグリーンの色を残しながらすっかり擦れてきています。襖が意外に白っぽく残っているのが印象的。子どもが大きくなってから張り替えているようです。
 照明は主に裸電球だったようで、蛍光灯の類はありません。

Dscf4899 Dscf4900  お風呂場は既に青空天井で陽射しが入っています。棟続きの五右衛門風呂も珍しいです。旧家は家に不浄を持ち込まないために風呂とトイレは別棟だったそうですが、こちらは同棟のタイプ。
 床も波うち始めていて、あと数年のうちに雪の重みで自然崩壊していくのでしょう。小さな隙間から自然も侵入を始めています。

Dscf4895  元来た部屋へ引き返そうと踵を返すとドアの上には、早苗さんの文字が…

すいません。入っちゃいました…。
というか、こっちから先に入ったんだ。

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2007年5月12日 (土)

早苗の部屋 PART-1

Dscf4885  某町の橋の袂で「●町史跡保存会」なるものの指標を発見。

 「大正期の郵便中継所跡」がこの先、300メートルほどのところにあるらしい…でも妙だなぁ。矢印の指し示す通り進むと採石場の敷地内で『関係者以外立ち入り禁止』の表示板もある。「変だなぁ…」看板を左にそれると河川敷のうっそうとした藪の中。右にそれると…家が1軒。『あれかなぁ』

 回りの建物とは群を抜いた年季の入った家が一軒、適度な広さでそこそこ草は刈ってある土地の中に建っています。
『これだよなぁ、これしかないよね』 とりあえず、中の様子を…窓には鎧戸のようにトタン板を張ってあり、中は真っ暗。開いた入口から入り、すぐのところにずんぐりとしたダルマストーブがあって(ダルマというより小判型)、郵便業務従事者の休息所のようです。ストーブを囲うように座って暖を取っていた、そんな雰囲気です。

Dscf4903 Dscf4886  こういう史跡って地元ではあまり興味を持たれないし、旅行者には知られていないしで、けっこう意外で奥の深いものなのに人目から遠ざかっていて、手入れもそこそこで朽ちかけていると残念に思うこともあります。
 それにしても真っ暗で中の様子がわかりません。特に開設板も無いようで、建物より先に朽ちちゃったのかな?合板の板より昔の壁板の方が丈夫じゃありませんか!

 ところが用意周到でちゃーんとハンドライトがあるんですよ。
備えあればうれしいな♪でなくて憂いなしといったところで中の様子を確認します…

Dscf4888 『えぇえっ?! なんだ!?』  

 これは、郵便中継所とは思えません。うーん凄すぎる。少なく見ても30年は時が止まっているようです。それに内部が暗かったためか色あせがまったくない保存状態で『高●塚古墳』でも見つけたように興奮しました。もう間違えたなんて気持はどこかへ…

Dscf4892_1  それにしても凄いなぁ。当時のアイドルのポスター(おそらく雑誌の付録かグラビア)。
 これだけのものがこんな市街地で眠っていたなんて。何となく記憶にあるけれど名前も浮かばない人もいます。大半は郷ひろみですが女性も数枚。天井にも貼られていました。山口百恵さんですね。この下にベッドかなにかあったのでしょう。こういうところを見つけるとすごく得した気分がします。

 さらに奥はどうなっているのかな? 若干、光の漏れる先へ行くと建て付けのくるったドアがありました。

(つづく)

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2007年5月10日 (木)

戦争の断片

Dscf3733 幹線道を奥に入ったところにこの碑があります。ほとんど土地の人しか分からないような場所ですが、農家が数件ある畑作地の中、それも畑の中央付近に島のように取り残されたところです。

 この場所に至る道は、あたかも島を結ぶ桟橋のように渡されて、土地の人たちに見守られています。

 この碑、一見墓標にも見えますが、そのいわれは…

『北部軍飛行第三戦隊所属の二名が昭和17年10月10日午後1時頃、搭乗の九七式司令部偵察機で飛行中遭難。同地に墜落し、殉職。当時の地主によって2名供養のため墓碑を置き、トドマツが植林されました。しかし、その管理者の没後、墓標は朽ち、トドマツも枯れてしまいました。やがてその意思を継ぐ、息女によって昭和39年12月1日に新たな留魂碑が建立されました(併設の由来文要約)』

 戦争の跡は現代、数少なくなり、伝える者も年々少なくなってきました。我々戦争を知らない子ども達以降の世代にとって戦争を知る機会はどんどん失われていきます。
 戦争の傷跡そのものはほとんど目に付かないまでも戦争を伝えるものは、まだまだ残っています。それを守り伝えるのはやはり、戦争を知らない我々の世代です。
Dscf3734

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2007年5月 9日 (水)

心霊写真

Dscf0364  日頃、『ルイン・ドロップ』をご覧の皆様、ありがとうございます。

 GW明けにめでたくアクセス数5000突破しました。この数字が多いか少ないかは別として自分にとって大きな数字であることには変わりありません。
 日本全国の「廃墟ファン」の皆様に感謝いたします。

 この「アクセス5000突破」を記念して新しいPHアルバム『廃墟ラブホテル●すか再調査』をアップしました。サイドメニューからお入りください。初回調査が今年の元旦ということで積雪のため見えなかった部分を再調査しました。
 枚数が多いので時間があるときにボチボチご覧ください。

 右の写真は某国道沿いにある廃屋です。反対側から建物をあおりながら回りこんでいたので目の前に現われたとき、心霊写真か念写のようで結構引きました。
 これはもちろん『オロ●●ン』のホーロー看板ですが、ずいぶん摩れていますね。
 国道に面しているためこの付近はホーロー看板がとても多い…いや、多かったのかな。近年、略奪か古物商の買い付けでその数が激減してしまっているようです。

 古物マニアの中で「ホーロー看板マニア」という方々も多いようです。自宅ガレージに大量に張り付けているお宅も見たことがありましたが、この手の看板は、こんな摩れた木造の壁が一番似合うように思います。

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2007年5月 7日 (月)

芸術的バス亭

Dscf4281

 ここは、バス亭です。とてもそうは見えませんが、近郊の学校が少子化から街の学校などに統合になり、それに伴って児童の送迎のためにスクールバスが運行されます。夏場ならいざ知らず、冬場は雪もあり親心としてはバス待ちの小屋があちこちで建てられました。
 新築したり、物置などの再利用、廃車を代用、そしてこの地域のように風除けの壁のみといったところもあります。

Dscf4282_1  ここの農家では、もうバスに乗る子も卒業してしまったようですが、残ったバス亭は壊されることも無くアートとして再利用されています。ガーデニングブームを発端にしたガーデンエクステリアのバリエーションで町の『景観美化条例』と『花溢れる町構想』による町民意識の賜物でしょう。

 しかし、このアートは朽ちた板塀とフクロウの斬新なタッチがマッチしていて、こういうのはぜひ、真似してみたいな~と思いますね。
 フクロウには『博学の象徴』的な部分があり、教養の守り神のイメージもあります。
 日々の過酷な農作業の合間にもこのようなアートな活動に余念の無いこのお宅は、まさに教養深いの一言につきます。

 やがて花々の咲き乱れる季節には色とりどりのプランターも置かれ、ともすれば平坦な田園風景にアクセントを加えることでしょう。

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2007年5月 6日 (日)

疑惑の廃墟 警察犬訓練所(3)

Dscf0423

 GWも今日でおしまい。故郷の空気に時の感覚を狂わされた皆様も、また元の規則正しい生活に戻らなければなりませんね。
 休みがあった人も 無かった人も それぞれのリアル世界にまた翻弄されるのでしょうか…いずれにしても自我が手足を伸ばせるところは必要ですね。
 リアル世界から隔絶した『廃墟』と呼ばれる空間に立つと、ある意味そこでは自分が主人公であるかのような錯覚に陥り、そしてまた、そんな自分を観察する気持も湧き上がってきます。空間の持つ特殊性に感化されるのでしょうか。

それは何も『廃墟』にこだわった事ではありませんが…それを持たない方にも近い将来それが見つかりますようにお祈りいたします。夏へ向けて…

Dscf0424  これまで見てきた、この『警察犬訓練所』から読み取ってきた側面は、犬と思われるものに対する商品的管理【最初のペンの辺り】と犬との生活の痕跡が残る溺愛の部屋【住宅】から成されています。
 他の情報はないかと敷地内を再度調査。まだ、未調査の屋根の落ちた小屋を確認してみましょう。といいましても、そこへ到達するにしても廃材と雪の山に阻まれて到達できません。正面からは無理らしいですが敷地と耕作地の境目から向かいました。

 壁はブロック積みで屋根は木造ですが、全体の三分の二は壁を残して崩落しています。ところが一見崩れたようで、屋根そのものの瓦礫がほとんどなく、故意に壊したというよりも屋根部分が飛ばされた(?)雰囲気です。壁も上半分がありません。雪が無ければもう少し分かったのかもしれません。

Naibu2

 屋根のある最端の棟の窓から様子を伺うと、やはり元々は牛舎であったような構造です。鎖や簡素な小屋のようなもの等、犬が数頭ここに繋がれていた痕跡がありました。
 端の入口から回り込んでみると…

Kanban

『あっ!これは!?』隠されるように置かれた施設の看板を見つけました。
『●●●●警察犬訓練所』 警察犬? ここに警察犬の雰囲気は似つかわしく無いのでは? ちなみに犬が自由に動けるような場所は敷地内にはここ以外ありません。この場所も6棟前後の犬が繋がれた場所以外のものでもなく、敷地内では通常の犬の訓練さえも似つかわしくない。そんな様子でした。

Naibu1  本当に訓練は成されたのか? 訓練所の名は実だったのか? 
資格はありながら需要が無く、単にブリーダーとして生計を立てていたのかもしれません。
 市街地に接してるため大げさな訓練は他所で行われていたのかもしれませんが、近所での裏取りでは付き合いはなく、犬の吼え声や遠吠えは聞かれましたが、何時ここに来て何時ここから去ったのは、覚えていないそうです。(ご老人の記憶がゆえ)

 犬にまつわる世界は、家族の一員にも値した愛情あふれるポジティブなイメージの反面、虐待や種を保存するための無理な交配などダークな噂も時折聞かれます。
 ここにおいてそれらがあった根拠はありません。ただ、愛玩動物を扱う施設の衰退は普通の施設以上に怪しい雰囲気が漂っている…そんな気はしました。

Dscf0404

 太古の昔から人間と信頼関係において共に生きてきた犬たちの目からその真意を読み取るのは、もはや無理なのでしょう…

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2007年5月 3日 (木)

疑惑の廃墟 警察犬訓練所(2)

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 この内部からの様子からして、犬舎であることは間違いありません。
しかし、裏付けの無い推測も無責任な気がするので、この時点では家畜(特に仔牛)や独房のことを『ペン』ということがあるので仮に“ペン”と呼びましょう。

Dscf0411  このペンは左右に6室づつ、所によっては上下2段の構造ですがおおむね、単独の個室に」なっています。入口付近にもペンにも給餌容器や餌自体が見当たらないので『犬』用とする確証がありません。それよりも酪農関連の遺物、例えば送乳缶(昔の牛乳出荷用の金属製容器)や酪農用消毒液のプラ容器が目に付きます。

 この建物を出て、確証のあるものはないかと敷地内を見回すと電力会社の置いているもののほかには、車庫・住宅そして遠巻きに屋根が落ちて柱だけの骨組みだけになった廃屋(これが牛舎?)が見えました。取りあえず住宅の方を調べてみましょう。
Dscf0399  玄関口は開け放たれていて、久しぶりの訪問者をまっていたかのようです。一歩足を踏み入れると家の奥から空気の動く気配がしました。玄関から居間へ上がると…いきなりベッドがあります。
 しかし、荒れていますね。敷物や壁には多くのシミ。この荒れようは単に越年によるものではないような…廃墟化以前にかなり汚かった様子です。ベッドの横にも檻のようなものの残骸があります。

Dscf0413_1  

さらに不可思議なのは壁にビニールや絨毯をはりつけてあることで、やはり当初の推測からしてドッグブリーダーでしょうかね。ブリーダーだとしても住宅内をこれほどの状態にして犬を住居内に入れるものなのかはわかりませんが…少なくとも貼り付けられた絨毯は壁自体か壁に突撃するものを守るものなのでしょう。数枚重ねられた絨毯の上に更に敷かれた床のラグも尋常ではないほどシミだらけになっています。

Dscf0414  次の部屋は奥行きがあって二間を通したところです。絨毯は幾重にも敷いてあり、昼寝布団やバスマット、キッチンマットなどいろいろなものが重なり、家具は部屋の両側に押入れを塞ぐように寄せて並べてあります。窓が一部破れていてここから風が通り抜けていたようですね。

 奥の壁に『おっ!』ブリーダーズチャンピオンシップの歴代受賞犬のポスター(ドイツ語らしい)を発見。普通には手に入らない業界用のようなもので、やはり廃酪農家を利用したブリーダーのようです。するとこの部屋の中の奇妙な構造は犬を室内飼い、それも尋常でない頭数の犬が寝食を共にしていた感があります。

Dscf0417  いくら犬好きとはいえ、商品となるものをそういう風に扱っていたのでしょうか…?

 それとも、好きで始めた商売が溺愛のあまりに一線を越えてしまっていたのか?

 それにしては、はじめのペンは決して犬たちにとっては快適とはいえない環境です。

(つづく)

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2007年5月 2日 (水)

疑惑の廃墟 警察犬訓練所(1)

Dscf0406

北海道十勝地方を南北に分断する国道●号線
北海道廃墟界では通称『カナブンロード』と呼ばれる主要幹線道路
広大な平野の上、時折高速道路とからみ合いながら大地を縫う
その沿線と筋道は、王国からバス停まで数々の特殊物件を包括しているがその全貌はいまだ掌握の域には来ていません…


Dscf0400  前出の『お父さん!頭が』や『マザーグースの教室』そして『廃墟ホテルC』もこの沿線に存在します。その行程の途中、O市T町の市街地付近にこの警察犬訓練所があります。
 ただ、『警察犬訓練所』の冠は後で発見される遺構により判明したことで、当初は使用目的の定かではない奇妙な空間でした。
 現在、その敷地は、電力保安会社の土場にもなっており、電柱や古いトランスなどの仮置場になっています。

 ここを見つけたときは、酪農家の離農跡と思われました。
牛舎とおぼしき小屋の入口に『伝染病予防のため無断立ち入りを禁ず』の看板。
家畜の伝染病予防のため酪農家の小屋にはよくある看板です。
中へ入ると既に不法投棄の場。大きなテレビが数台放置されていました。
冷蔵庫、湯沸かし器等…ここは処置室だったようですね。

Dscf0401  奥へ進むと上から陽の差し込む以外に明るい通路です。
狭いですね。ここは…壁が高くて、育成ペン(孔子の個室)にしては厳重で敷藁もなく、圧迫感があって正に檻という感じです。生き物がいたような匂いもありません。
 掻き穴があいたベニヤ板や檻のところどころに付く獣の毛らしきもの。

 たぶんここは、畜犬舎だったようです。
このような施設に入るのは始めてなのですが犬にとって健康的な檻だったのでしょうか。
確かに通路は上からの明かりが入りますが、檻そのものは暗くて湿っぽい様子で苔むしていたりします。ところどころにストレスの跡のようなものが見受けられます。  (つづく)

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2007年5月 1日 (火)

放置された記憶3 『記念メダル』

皆さま。GWを楽しんでいられますか?
そんな中、『ルイン・ドロップ』へのアクセスありがとうございます。
検索ワード【廃墟ラブホテル】からご用命の方が多いようですので『●すか』あたりを近々、アルバムでアップさせていただきますので、どーぞよろしく。ご感想などくださいますとありがたく思います。

この連休中で『廃墟探訪』に嵩じられる旨も多いことと思います。
ただし、常識として
◎リスクは自分もち
◎噂に振り回されない(あくまでも噂。真実は近くで容易に確認できます。)
◎近所に一言

最低限これだけは考えて良識の基、異世界を体験してください。

『ルイン・ドロップ』で紹介の物件で『荒らし行為』『不法投棄』『スズメバチの大量生息』など事件性のあるものは、近所もしくは地区行政に報告しております。
誤解されないよう軽率な探索はご注意ください。
 ねこんには、現場の紹介・仲介は出来ませんし、その資格もありません。
少なくとも調子に乗って自分を踏み外す愚行は避けたく思います。
 事前に最低限の了解(近所へごあいさつ等)を取ることは決して難しいことではなく、むしろその日のプラスになることです。

 それでは、時から離脱した『忘れ形見』をご覧ください。

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 『アイドルの部屋』を後にして左端の部屋へ来ました。

Dscf0703  『えっ?情報と違う???』人が住んでいるようです。いや、そう思うほど全てがそのままになっていました。前の部屋と同じく時はある時期から停止していますが人だけが忽然と姿を消したかのような異常な雰囲気があります。
 部屋の中は荒らした風にあちこちに物が散乱していたり、積み上げてあったりと、引越しというよりも『空き巣』か『夜逃げ』か『蒸発』か『拉致』を想像しました。
 ここで事件性のある話を事前に聞くことはありませんでした。同時に建物所有者の情報もはっきりしません。

Dscf0699  遺物の中には卒業アルバム、家族のアルバム、書簡、証券など普通なら残していくべきではないものが床や棚の上、机の上などに放置されています。地区スケート大会の入賞メダルも戸棚の中に誇らしげに飾られたまま俗世から切り抜かれてここに封じられています。
 奥の部屋には衣類、電化製品、家具、バッグなどが散乱し『家捜し』という感がありました。壁のピンクレディーやスーパーカーのポスター…時代を感じます。

Dscf0702 キッチンへ入るとやはり、物は洗物を含めて手付かずのまま放置。この状態のまま20年弱の間経過しています。冷蔵庫の中は…思い出したくない…
 横に階段を発見。キッチン(台所)に階段ですか。変わった構造ですね。

 狭く、急な階段を2階へ上がると天井が低くほとんど屋根裏部屋の様です。(この借家、2階建てだったんだ…)窓も無く天井板が斜めになっているので正に屋根裏部屋の感じ。1階とは違って新しい時代のワムなどのポスターが目を引きます。組み立て式とはいえ、ここによく上げることができたベッドには主が起き出したままの様なかっこうで布団が乱れている…灰皿には吸殻が数本、飲みかけのウイスキーのボトル。積み上げたコミック本とその続きで読みかけて伏せられたままの本。

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Dscf0701 全てを置いて家を離れたのか
家を離れて戻れなくなったのか
それは分かりません
越年が噂すら風化させてしまったのだろうか?

ただ、各部屋は同じ時期に退去していることは間違いありません。
推測でもへたなことは言うべきではないので、この状況だけを紹介しておきます。
そのため、①で建物の全体像はモザイク処理させていただきました。

 主が健在なのであればこの封印された記憶の回収を望むところです。

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