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2007年5月19日 (土)

連載100回記念 廃ボウリング場の闇に潜むもの 概要編

Abowl

毎度さまです。おかげさまで『ルイン・ドロップ』連載100回目を迎えました。
ごひいきの方、お気に入りにご登録くださいました方。北海道廃墟界各位様。そして北海道廃墟椿運営のカナブン師匠に御礼申し上げます。

 100回目としてどの物件をアップしようかと思いましたが(そんなに手の内あるんかい?)、ルイドロ最大の物件は、今だ追跡監視中であることから後の機会へとして、今回はルイドロ最恐体験報告にします。

Dscf0050 舞台は 某廃墟ボウリング場  その簡単な歴史と概要

 国道の合流点近くにこのボウリング場が存在します。始めて意識したときから廃墟と化していました。このボウリング場の誕生はボウリングブームを背景にした60年代末から70年台初頭。業界の人気プロボウラーの輩出が拍車をかけて全国的にブームが爆発。
 全盛期には100メートルおきにボウリング場があるといわれたほどの今からは想像できない流行で、およそ業界とは無関係な事業者までもボウリング不毛の地を探して建築ラッシュが続きました。全盛期、いまのようにスコアが自動で記録されるものではなく、自己記入によるものですが、どんな地方でも1日のゲーム数は軽く3桁は、こなしたようです(本当かな~)。当然待ち時間も2~3時間はざらでした。地方においては劇場が減っていたこともあり、新たな娯楽として急速に普及していきます。当時の貸しシューズが1回およそ50円。訪れるお客さんの全てが常連と言っても決して言い過ぎではなく、その大半の人がボウリング場用の衣装を用意するほどで一種の社交場(ナンパの発展場?)であったそうです。

Dscf0049  しかし、そのブームも数年加熱したとはいえ一時の流行に過ぎず、業界は急速に冷え始め、集客力は全盛期の10分の1にまで減少。やがて他の民間や地区行政などに経営の売却がなされ、営業が続けられますがブーム衰退の加速は止められず、大半がやむなく閉鎖。建物は広い内部を利用して工場やスポーツセンターや倉庫などに転用されました。
 今も残っているボウリング場の建物は、そうして生きながらえたもの達です。
シンボルであるボーリングのピンは事業所の看板代わりに使われたり、交通安全の啓発標識に使われたりと繁栄期の欠片を時折見かけることがあります。
 かつてこの町にはふたつのボウリング場が存在し。一方は80年代ころまでは現役でしたが、やがてレストラン部分を残して廃業。やがて全てが取り壊され、あらたに飲食店が置かれました。

 方やこのボウリング場は30数年の間、他のものに転用されることなくこの地で存在し続けたことになります。
 一度も転用されていなかったことにも驚きましたが、いつの頃からかここに幽霊出現との意外な噂が出始めました。 

ボウリング場に幽霊?

  つづく

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コメント

連載100回おめでとうございます。
サイト運営とは楽しくも難しいものです、自分のペースを乱さず続けて行きましょう。

今日はルイドロ100回記念としてのあの廃校へと行ってきました、そして涙。

投稿: カナブン | 2007年5月19日 (土) 18時08分

おーっ!師匠、いってきましたか。成れの果てが農機具庫という廃校はずいぶん見ましたが、あの学校は特に心にうったえるものがありました。木造だけになおさらです。

投稿: ねこん | 2007年5月19日 (土) 19時13分

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