放置された記憶① 『社葬』
さほど昔ともいえない少し前にこの町を舞台にした映画が作られました。
その舞台の中心となったのはこの地域。本町と比較して過疎化が進んだというか商店街の店の数もめっきり減ってしまいました。それも空き店舗というよりも更地の間に店があるといったほうが的確なくらいになってしまいました。
覚えている頃にはまだそこそこのお店が軒を連ねていましたが、自家用車の普及に準じて地元での用足しが少なくなり、お店自体も大手スーパーの物販量・値段に勝てるものではなく、後継者の問題も相まって歯が抜けるように減っていきました。
すぐ近くには新設の『道の駅』があり、道の駅マニアや旅のバイカーで賑わっています。
この市街地の反対側のはずれ、お寺の近くにこの一塊の廃墟群が立っています。新しい建物と古い建物が混在している地域なので何の違和感も無く地域に溶け込んでいます。
3件続きに小さな平屋の1戸建てが数件固まったこの一帯は借家であったものでしょう。聞き取りした近所には、ここの詳しいことを知る方がおらず所有者などの詳しい情報は得られませんでした。内部はかなり切ない状況になって関係者に何らかの対応が望まれるところです。それが長い年月の間ここに放置されたのは当事者自信の訳もあり、それを地域が気に留めないそんな現代的な要因も関係しているのかもしれません。
それでは、始めのお宅 『社 葬』
こちらは、住人が立ち退いた跡です。少なくとも1989年まではここに『暮らし』があった模様。玄関付近はフルオープンで風か何かで破れてガラスなどが散乱しています。
1989という根拠は壁に貼られた『社葬』のポスター。よく映画館で上映作品のポスターを販売していてそれを購入したものでしょう。
よりによって『社葬』ですか?とも思いますが、よほど感動したのでしょうから大きなお世話ということで…
この映画が1989年 第32回ブルーリボン賞 監督賞受賞(舛田利雄監督:宇宙戦艦ヤマト・ハイティーンブギetc..)作品で、公開年に見たものらしく建物は1989以降に廃墟化したことになります。しかし、カレンダーなどの実質年度を特定するものがありません。ポスターはさほど色あせのない反面、奥の部屋の畳と床板が雨水の入ったわけでもなく陥没しているのでポスターを貼った頃からさほど経過はしていないと思います。
物干しのロープ、カーテンはそのまま。流し台は部屋の中央まで引っ張り出されていますがこれまでもっていくつもりだったのではないでしょうが…毛布が投げ捨ててあったり、上着が壁にかけてあったりして大雑把な引越しだったようです。
あるいはこの引越しは、建物の取り壊しを前提にしたものだったのかもしれませんが現在もこの状況で放置されています。
南側の窓が意外に低い(小さい)ため部屋の中は比較的暗く、オープンな玄関ながら中はかび臭く、空気が淀んでいます。床下の辺に水が浸入し屋内の風化を早めたのでしょうか。
あと数年もすると建物の根太(ねた)部分が腐敗し、この部屋から建物全体は崩壊していくことでしょう。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント