悲しみが雪のように Bコース
すっかり春めいてきましたね。といいましても桜前線はどんどん上昇中。すでに盛りも過ぎてしまった所も多いのでしょうが、ここ北海道は、今だ桜も見られず日陰などには雪の塊が大地をいとおしむように鎮座しています。
これからは、廃屋に取り残された桜や梅、ツツジ、ルピナスなどが主のいない荒れた庭の中でも咲き誇りまるで人を呼び寄せるかのような不思議な光景になります。
北海道の短い夏。そこに向けて命のラッシュアワーが始まります。
さて、舞台は冬に戻ります。『国設スキー場』です。今回はこの肩書きが大きなネックになったお話。
折りしも、全国的に『平成の大合併』が取りざたされ、ここの管内でも住民意識調査や合併シュミレーション(財政シュミレーション:合併した場合の財政的な予測)が模索されてきました。新聞紙面や広報誌でも“●●町と●●町の合併論議”と称してまるでもう、合併が決まったかというような各町の長が手を取り合う写真が大きく報じられていました。
結局、1町と1村の合併を除いては『白紙』という何ともおかしな結果になってしまいました。
一方、このスキー場を持つ町は、国の合併パターンの中では近隣町との合併例が掲示されていましたが、実際の論議は各地方行政にまかされていたその中で、協議の対象にもならないのか相手にもされない状況になっていました。(その理由は広く知られているところではありますが…)
各町が協議の末、最終的に(住民意識を踏まえ)自立を選択したことに対し、この町は最初から自立していかなければならないという立場に晒されました。
合併云々以前に地方交付税交付金の激減でこの無駄な部分をカットしていく方針に伴い、スキー人口の減少によって赤字経営の続くスキー場の閉鎖がほぼ決定しました。
問題は先に出た、『国設』の部分です。
『国設』という名に『国営』という印象がありましたが実は『国有地』を借り上げて作られたスキー場だったのです。山林地であったこの山を町が借り上げてスキー場を造成したというのが正しい素性なのでした。
よって、これを国に返却する場合は『原状に戻す』というのが約束事だったわけです。
要するに、『建造物を全て撤去し、元の山林状態に帰しなさい』ということが返還時の条件だったのです。
この『スキー場』を残すことも壊すことも難しくなっていました…
(つづく)
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