ひとりぼっちの十代
なにか身につまされました。ベイシティローラーズが懐かしいとかではなく、これだけのものがここにあることに。
ここは、線路どころかバス路線もない離農の進んだ過疎地域。あと数キロ車で走れば北海道内でも屈指の『僻地五級』レベルの学校があり、(既に廃校)人家はここと同じく廃屋のもう1件がある、ほとんどの畑も荒廃した荒れ野の地域。町内の市街へいくのも車がなければ無理です。
BCRといえば主に70年代中期─80年代前期の間まだ日本に爆発的アイドルが存在していないころに活躍した英国のロックグループ。「エジンバラの貴公子」と称されていました。折りしも時代は骨太なハードロック、グラムロックなど、重厚なサウンドを人々が欲しだしたとき、日本ではアイドル的要素の強さでは追随をゆるさなかったと記憶します。
背景として、キッスやエアロスミス、イーグルスなどの円熟期でもありました。ただし、今のように音楽ビデオなどが見られたわけでもなく、ライブに行けないとなるとラジオと雑誌とレコードだけが自分の憧れとの接点でありました。
その接点も地域の商店事情から察すると、情報の乏しさから生まれる意識の地域格差は、都市とは雲泥の差があったことでしょう…
ごく普通の一軒平屋。戸口が風で打ち壊され獣の類が出入りした痕跡もある廃屋。残された物量から察すると、あるいは事情で一次この地を離れたが…という雰囲気です。居間のカレンダーから推測して廃墟年齢およそ23年。すでに床も抜け落ち始めている。
この部屋にいた彼女は、多感な時期にはかなり過酷なこの地においても夢を見ることはできたのでしょう。そして、この地を離れることになって夢はかなり近いものになったのかもしれません。夢の方向も変って当然。 ただ、彼女がいつしか自分の夢を思い返すとき、その材料を遠くに、あまりにも多く残してきたということが少しいたたまれないですね…
ドアの小窓、BCRの象徴のタータンチェックの端切れに綺麗に並べられた缶バッジ。うっすら色も抜けてきています。このドアの向こうに20数年もの間、夢の本質が封印されていたはず。でも、その夢を開放するのは、この部屋の主だけという気がして、そこはそのまま家を後にしました。BCRのナンバー『ひとりぼっちの十代』。山間の荒野に今はその曲がぴったり。
ある映画のコピーでこういうのがありました。
『夢は見るもんじゃねぇ!叶えるもんじゃい!』
それは間違い…夢は育てるものだ、と私はそう思います。
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コメント
これまた平凡明星なワンシーンですね。
田舎の少年少女には憧れのアイドルのコンサートに行くのは夢のまた夢ですからね。
ボロ映画館で「地獄の黙示録」を見たときドアーズとストーンズが流れたのがとても印象的だったのを思い出します。
なんだか自分の部屋みたい。
投稿: カナブン | 2007年3月 5日 (月) 08時46分
「地獄の黙示録」懐かしいですね。今でも年に最低1回は見てしまいます。ジャンルというより哲学と狂気の紙一重の線が好きです。
ねこんの部屋は映画のポスターだらけでした。今は改築に伴い、剥がされちゃった…
投稿: ねこん | 2007年3月 5日 (月) 12時07分