静かなカーニバル
この学校は昭和63年の春、周辺の数校と共に新設校に統合して子ども達は全て学び舎を去りました。卒業生574名、閉校時の児童数33名、校史69年の学び舎『中伏古小学校』現在の校名は『画家の美術館』。
現在の校長先生は、村元美海(むらもと はるみ)氏。元。教職の身で画家と校長の二つの顔を持つ方です。でも、ここを訪れると先生のもうひとつの顔(本当の顔)に気がつくことでしょう。それは『大好きだったおじさんのイメージ』っていうのでしょうか…
「画家」という肩書きの先入観で訪れると非常に脅かされます。「あー!良く来たな!」といった感じでまったく屈託がありません。
※美術館の詳細については、上記の『画家の美術館』名リンクから同美術館のHPに入れますので、ここでは、ねこんの印象を書きます。
現在この学校の生徒たち、それは村元先生とその父君、故村元俊郎(むらもと としろう)氏が生み出した絵画の作品群。静かな教室、体育館、特別教室、職員室…あちらこちらから賑やかに見つめ返してきます。
絵を鑑賞に来たのか、見られに来たのか、大小含めてその膨大な作品群に圧倒されます。そしてここが子ども達の見慣れた場所『学校』であることで、こちらも妙に肩に力の入らない素直な鑑賞ができます。
絵画は目で見ると同時に心で感じるものである。
なぜならば、画家は自身の心をその腕を持って白いキャンバスに定着する術を知っているから絵画もまた、心が現出した存在で対面する者の心に容易に入り込めるからです。
人は全ての生き物がそうであるように『食』の中から生きる糧を得ています。ただ、唯一人間は「見ること」「聞くこと」などからも生きる糧を得ることができる。ただし、全ての人がバランスの良い「糧」を得ているわけでもありません。普段の食生活のように偏ってくると「心」もバランスを欠いて来るのかもしれません。心にも「野菜」や「ビタミン」が欲しいものです。
それにしてもこの作品たちはカラフルですね。こういう絵を描く先生だから笑顔も素敵だなと思います。反面、これだけの作品を量産し続けるバイタリティは「画家」の称号が正にふさわしい。
子ども達がボール遊びをした体育館に大判の絵画がならんで心の玉が飛び交わせ音の無い静かなカーニバルが繰り広げられます。
学生時代、油彩絵の具の香りが不快だったことを思い出しますが、それすら心地よく感じられるような… かつて集った「夢見ること」を教えられた子ども達の歓声や感動が染み込んだ校舎の中で今は、この作品たちが代わって『夢』を伝えてきます。
誰もまだ『夢見る頃』をすぎてなどいないのだよ…とでも語りかけてくるように…
訪問の際、ここは基本的に入場無料となっていますが、この学び舎を維持していくためにも校内の「カンパ瓶」に志のカンパをお願いします。
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コメント
このような芸術活動は好きです、さりげなく存在する小さな美術館たまーにありますよね。
今年の行きたい場所リストに入れときます。
投稿: カナブン | 2007年3月 1日 (木) 08時28分
絵画だけではなく、学校の雰囲気を壊さない改造、そして先生の人柄からリピーターも多い美術館です。
先生の父君は強烈に大きな絵を描いていた方で、地域では斬新な屋外個展も開催したことがありました。
廃校は意外な転身をしていて面白い素材です。「牛の学校」もそうですね。
今回は、先生の了解を得てリンクも貼ったことから、全て実名公開しました。
投稿: ねこん | 2007年3月 1日 (木) 12時13分