バンザイと牛乳 ①
今も記憶の底から聞こえてくる言葉… そして、あの笑顔。
当時、小学校1年生。通っていた小学校は、4クラス…勘定が合わないではありませんか。 それというのも一部が複式学級制で、1-2年・3-4年で1クラスづつ。それでも二学年合わせて12人、学校統合時には全生徒数28名という小規模校。それでも学校が淋しいなんて気持ちは全然なかった。始めっからそうだったから…
当時、牛乳が大っ嫌いで給食に出たものはもちろんのこと、家でも飲んだ記憶がほとんどありません。しかし、給食委員という使命感に燃えた子(上級生)がいて、『●●ちゃん、残したら昼休み遊ばせないからねっ!』と言われるのが辛くて、机の上の嫌いなものとジッと睨んで時間が過ぎるのを待っていました。「これを飲むくらいなら遊べなくてもいい!」と決めていたからです。
家が酪農家なのに牛乳が嫌いなのかい? というところですが、肉屋さんの子が日常的に枝肉を見ていたら食べられなくなったみたいなもので、牛舎の牛や堆肥や消毒液などのミックスした匂いと牛乳の味が記憶の中で関連づいて、ダメだったのです。親は必要以上に無理強いはしませんでしたが、給食委員長はそれを許さず、目の前に腕組みで仁王立ちしていたのでした。今ではアレルギーとかの関係でそんなことはしていないでしょうがね…
こちらは頑として拒否していたので、飲まずにはいられましたが、そのおかげで給食の時間が苦痛で、いつしか給食の他のものも食べるのが苦痛になり、家でも食べなくなり、ちょっとした拒食症というのになってしまったのです。全ての原因を給食委員にするのは少し筋違いというやつですが、その結果として極度の栄養失調と神経衰弱(?)から激しい脱毛症になってしまったわけです。
回りが気を使ってくれたので、当時の写真などは一切残っていません。
こんな私を母も心配していて、それがヒシヒシと伝わってくるのを感じて、「このままじゃいけないな」と考えたわけです。
1学年上の男の子、Y君は体の弱かった子で心臓の手術をしたこともあったそうです。そのため、顔色はあまり良いとは言えず、でも表情の明るい子です。
もう、完全に匙を投げた給食委員も私には無関心。必死に大嫌いな牛乳を飲む私。誰もこの努力に気がつかない…(かえってそんな自分を見られたくない気もしていた)
ひとり、気がついていた。Y君がスタスタッとやってきて、満面の笑顔で冒頭の言葉…
『牛乳飲めたんだね、おめでとう!』
ドッと涙が出てきた… (つづく)
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コメント
中学生になると飲まない牛乳は○○君が全部飲んでくれるって感じで、何本も飲む人がいました。
男子で流行ってたのは瓶を机に立てたまま飲む“バキューム飲み”、品がないけど妙に迫力があった。
投稿: カナブン | 2007年3月17日 (土) 11時59分
えっ?机に立てたまま飲めるんですか?
そもそも、顎関節症ぎみなので試すこともできませんが…
(歯科診療中に外れたことが何度かあるので、大きな口を開けられません)
投稿: ねこん | 2007年3月17日 (土) 12時57分